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特集・ダンス!
 
今号は“ダンス”を大きくクローズアップ!特別企画として、現在様々な見地から精力的に活動を続けているダンサー4名の方に自身のこと、ダンスのことなど改めて振り返って頂きました。

手塚夏子 Natsuko Tezuka
「ダンス」の幅、線引き、別の可能性

96 年より、マイムからダンスへと以降しつつ、既成のテクニックではないスタイルの試行錯誤をテーマに活動を続ける。01年より自身の体を観察する『私的解剖実験シリーズ』始動。人のダンスの手法について思考し体で試行する「道場破り」など、自主企画も多数。10年より、国や時代の枠組みを疑って芸能を観察する試み「Asia Interactive Research」を始動。




●コンテンポラリーダンスとの出会い
  私は現在コンテンポラリーダンスのフィールドで活動していますが、正直コンテンポラリーダンスとは何か?と聞かれたら答えるのがちょっと難しいなあと感じます。しかし、そういったダンスに出会った時のことは良く覚えています。1995年前後だったと思いますが、当時住んでいた東京ではかなりたくさんフランスなどからのコンテンポラリーダンスが来ていました。どうしてあの当時、急にそういった動向になっていったのかは分りませんが、それからというものダンスの様々なショーケースやコンペが次々に生まれて行ったように思います。そういった流れの中で、私も活動を活発にしていきました。

●「ダンス」と名乗り始め…
  ただ、私自身はダンスをやろう!という最初の決心みたいなものをした記憶は一切ないのです。ではどうしてコンテンポラリーダンスのフィールドで活動するようになったかと言えば、最初のきっかけは学校の演劇部です。演劇をすることがとても楽しくて、何かしらそういった道に進もうと思っていました。そういった活動をしていくにあたって何かを学ばなければいけないと思い、日本マイム研究所というところでマイムを学びました。マイムというのは綱引きであるとか、階段を上ったり降りたりと見えないものを見えるように演じたりする部分も多いですが、体の部位を一つひとつ別々に動かせるように訓練したり抽象的な表現をしたり、ダンスとの共通点も多かったです。その研究所をやめた後、自主公演を行うべくソロ活動を始めたとき、マイムとダンスの区別もだんだん分らなくなっていったような気がします。なので、自分の活動をするにあたって、ダンスのショーケースなどに参加した方がより知らないお客さんにも見てもらえるというメリットもあって、なし崩し的に「ダンス」と名乗るようになっていっていきました。



● 私は体をコントロールする才能ゼロでした
  でもあるとき私は体のコントロールする才能がないことに気付きます。そうなると、マイムであれダンスであれお手上げという感じもして途方に暮れてしまいました。それで私はとにかく自分の体を観察することで自分の身体言語みたいなものを獲得して行かなければと思い始めました。体を観察するというのは、私自身を観察する事にもなり、かつ、その観察はまるで自分から離れたものを観察するような感じがしました。離れる感覚が強くなればなるほど良く観察できるという感じです。そうやって、『私的解剖実験』のシリーズが誕生しました。簡単に言えば、私は体をコントロールすることをあきらめ、コントロールできない状態、つまり「なってしまう体」を「ダンス」とするという方法を見つけていきました。その判断はとても個人的なものです。そういった個人的な認識と、一般的に「ダンスとはこういうもの」という認識の間にどんどん距離ができていったかもしれません。

● 日本のダンスに独特の幅あり
  ただ、それでも「何をダンスと考えるか?」ということに対して日本には独特の幅があるように思えます。一方では西洋の歴史を踏まえ、クラシックバレエを脱構築したダンスのスタイル、もう一方では、モダンダンスおよび舞踏の流れを組んだ、体の質や動きの必然性、自分の認識を超越していく他力の感覚、在るという舞台上のいかたなどなど、そういった独特の価値観はいったいどこから来たものなのでしょうか?とにかく「体そのもの」から離れきれないものとしてダンスを捉えているような感じがします。そういった両方の感覚が混ざった複雑なダンスの価値観に加えて、ダンス批評家の桜井圭介氏は、何をダンスとするか?ということにもう少し自由な、別の可能性を示唆し、レクチャーやワークショップを通して新たなダンスシーンの可能性を開いて行ったのですが、私もその影響を多大に受けました。私が今のような「なってしまう体」をダンスとすることにできたのにも、そういった視座があったからにほかなりません。

●西洋でははっきりとした線引きがある
  ところで、西洋のダンスはおそらくどこからどこまでがダンスであるとか、コンテンポラリーダンスであるとかそういった線引きはかなり厳しいように感じます。つまり定義することでそこに線を引くということだと思います。私のダンス作品を見たスペインのオーガナイザーは、「ダンス」ではなく「ライブアート」であると言っていました。また、民俗芸能、盆踊りなどの踊りは西洋においてはダンスとは一線を画すものとして取り扱われるべきものと思われます。演劇でも音楽でも宗教から切り離れたそのものの自立した芸術活動というところに線を引かれたということです。そういった区別から切り離されたことによって、元々日本にあった民俗芸能などは芸術という領域と完全に離れたまま、ある種の学術的な研究対象となっていったのかもしれません。そうなってしまうと、こんどはそのものが別の何かに展開して行く可能性も奪ってしまうような気がしますが。「ダンス」という言葉と繋げてそういった芸能の中の「踊り」を捉えるべきなのかどうか私には分りませんが、どちらも線引きの中にある限り、新たな可能性に開かれて行くのは難しいように感じます。



● 日本の独特な幅は線を解くことに役立てまいか?
  日本では、物事を定義するという感覚は薄く、それゆえダンスには独特の幅があって、新しい可能性を開いた批評家がいたように、区別に固執せずにもっともっと可能性を模索することも可能なのかもしれません。ただ、その「ダンス」という名前に固執することがこんどいろいろと障壁になるかもしれないので、ある段階まで来たら名前なんてどうだっていいさ、という感じで展開して行くことも視野に入れていいのかもしれませんが。人々が本当に楽しいのは見る事より踊る事だったり。でもそういった踊るという行為が自然に自分たちのものとして発生する体の反応を忘れきってしまっているようにも思います。今起きている事に反応できるからだ、踊ってしまえるからだを、見ている人が取り戻せるようなダンスがあったら、ダンスに限らずそういったアイデアを誰かが出して行けるような場があったら、それが本来的に私たちの時代を別の時代の連続としてもう一度取り戻すことができる。そうすれば、新しい時代も開いて行くことができる、そういった可能性を夢想しています。




次回公演
HPにて随時公開中
http://natsukote-info.blogspot.jp/





[artissue FREEPAPER]

artissue No.005
Published:2015/08
2015年8月発行 第5号
 
鈴木ユキオ ダンスとは何か わからないなりにわかろうとするエッセイ
スズキ拓朗 観れる!観たい!のダンスを創る! ~既視感のある作品なんて観たくない~
手塚夏子 「ダンス」の幅、線引き、別の可能性
工藤丈輝 処々雑感


 
「コンテンポラリーBUTOHダンサー」の旅は続く 石本華江
「挑戦心光る異色のパーカッション・パフォーマンス」 立木燁子
反・知性的な日暮里d‐倉庫『出口なし』フェスティバル 芦沢みどり

 
「やっと」 小暮香帆 ダンサー・振付家
「男性中心と創作過程」 黒須育海 ダンサー・振付家