唐組『鯨リチャード』©平早勉
1960年代、騒乱の季節の中、唐十郎の一党は真新しいスタイルの演劇を引っ提げ世の中に登場した。街角に忽然と現れる真紅のテント。異形の役者衆。ナンセンスとポエジーの渦巻く戯曲。スピーディーな台詞回し。時に権力に楯突くスキャンダル性。その革新性は日本の演劇史を一気に塗り替える「前衛」だった。きっと1603年、出雲阿国の一座が四条河原に現れ「歌舞伎」の原型となるパフォーマンスを披露して以来の衝撃だったはずだ。
その後、時を経るほどに唐を「前衛」と評する向きは減った(「前衛」という語自体が旬を過ぎた)が、たとえば1997年に彼が横浜国立大学教授に就任した最初の講義で黒板を突き破って登場した時、そのスピリッツは依然として「前衛」と呼ぶに相応しかった。
だが2012年5月、頭を負傷してからというもの、唐は舞台挨拶以外で舞台に立つことはなくなり、新作戯曲や小説の発表も止まった。
唐本人の現役復活はもちろん望まれるが、同時に周囲の人々には、唐がこれまで築いてきた大きな劇宇宙を消滅させてはならない、という使命感が高まったのではないか。しかも、いかに鮮度を保ちながら保存するかが大事だ。敢えて言うならば舞台の中に「唐十郎魂」をいかに生かし続けるかということ。
その着実な実践と呼べそうな舞台作品群に筆者は最近出遭えた。即ち、今年8月から10月にかけての短期間のうちに、異なる集団により上演された次の4つの唐作品だった。
A:日本の30代『ジャガーの眼2008』(演出:木野花。8/28~9/7駅前劇場)。
B:劇団唐ゼミ☆『青頭巾』(演出:中野敦之。9/4~9/5みなとみらい臨港パーク)。
C:新宿梁山泊『少女仮面』(演出:金守珍。9/30~10/7スズナリ)。
D:唐組『鯨リチャード』(演出:久保井研+唐十郎。10/8~11/3猿楽通り特設紅テント&鬼子母神)。
Aは唐演劇とは直接的接点のない役者達のユニットを、唐のスタイルを知り抜いている世代の木野花が厳しく演出したであろうことが舞台から窺える。役者達も懸命にこれに応えていたが、恋人から他人へと移植された角膜を追う“くるみ”を演じた平岩紙(大人計画)の演技が突出して冴え渡っていた。
Bは唐の横浜国大教授時代の教え子達による劇団で、忘れられた唐作品に新たな息吹を注ぎ、至極魅力的なものとして甦らせることを得意とする。今回は横浜港周辺の環境をフル活用して完全な野外劇に仕立て、唐戯曲の“シニカル”と、スペクタクル演出の“ロマンチック”との相性の良さを、今更ながらに我々に強く思い起こさせてくれた。
劇団唐ゼミ☆『青頭巾』©伏見行介
Cは唐の最初の紅テント劇団=状況劇場の劇団員だった金守珍の劇団による、唐の初期代表作(岸田戯曲賞受賞作)の上演で、状況劇場の伝説的ヒロイン李麗仙を客演に招いた。老境を迎えたカリスマの存在感と春日野八千代役が重なり合い、神々しいまでの“特権的肉体”を提示して見せた…というのが世評。だが筆者の特に注目した点は春日野に憧れ会いにくる少女・貝の役に文学座の松山愛佳という恐ろしく上手い女優を配役したことだ。結果、春日野と貝との関係性の反転という、戯曲に備わる本質的な、スリリングな構造を驚くほど鮮明化することに成功。これは『少女仮面』上演史上、画期的な演出だった。
Dは唐十郎が主宰する劇団で、15年前の初演作品を、実質的には久保井研の演出によって主要キャストを若手メインで再演。唐の現役時代との連続性も見せながら、一方では戯曲の言葉を徹底的に明瞭化させ、新作のような瑞々しさで本家本元の矜持を見せつけた。
昨今流行の些か押しつけがましさを覚えるフェスティバル企画ではなしに、自らの意志で4作品を見て比較することが出来た。個々の作品の成果と共に全体を見渡して発見できたことは多い。いずれも過去の焼き増しではなく、新鮮な再生が感じられたことに目を見張らされた。これらはまだ氷山の一角であろう。唐の遺伝子を乗せた種は今後そこかしこで芽吹き、更なる多様な開花を見せるだろう。こうして唐的「前衛」精神は浸透と拡散の中で着実に生き永らえてゆくように思える。
新宿梁山泊『少女仮面』©大須賀博
日本の30代 www.nihonno30.com
劇団唐ゼミ☆ www.karazemi.com
新宿梁山泊 www5a.biglobe.ne.jp/~s-ryo
唐組 ameblo.jp/karagumi
|