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東京以外の劇団からの〈発信〉
 
画一化された演劇が持て囃される東京。その地から離れてあえて世界に飛び出し、日本の各地で拠点を構える4劇団。世界の演劇に触れ、東京の常識とは違う地域に立脚して演劇を創造していく原動力とは?その力が東京の演劇を変えていくか……!?


【茨城】百景社
「今まで 今 これから」
志賀亮史  / 百景社 代表・演出家


百景社:2000年、つくば市を中心に活動を始める。演劇は「場」の芸術であるという理念のもと、活動当初より野外公演や田んぼでの公演、石組みの元米備蓄倉庫など、既成の劇場空間に留まらない公演活動を展開している。イヨネスコ作『授業』で、演出の志賀亮史と俳優の村上厚二が「利賀演劇人コンクール2009」優秀演劇人賞をW受賞。2013年、土浦市に専用のアトリエを構え、新たな活動を開始する。www.hyakkeisya.org




百景社アトリエ公演『銀河鉄道の夜』


  私は茨城県土浦市というところを拠点に演劇活動を行っている。劇団を始めたのが2000年大学在学時で、そのころは土浦の隣町つくば市を拠点に活動していた。2013年にアトリエを構えることになり、土浦へうつった。なので、茨城のいわゆる県南地域で活動を始めて15年くらいになる。正直に言えば、当初は地方を拠点にすることにあまり考えなどなかったようにも思える。とにかく、東京に出て演劇をすることに億劫さを感じていたのかもしれない。ひとつは場所の問題。稽古場を借りたり、渡り歩いて稽古をし、作品を作るのはとても面倒だった。またこんなことを言っては、劇場を運営していられる方々に申し訳ないが、正直劇場に何十万も支払って公演をすることにまったく意味を感じられなかったのだ。また、稽古や仕込に時間の制限をなるだけ受けたくなかった。そこで、当時大学に通う為に下宿していた茨城ならば見渡す限り田んぼだらけだし、土地もあるし、きっとどこかやれるところがあるだろう、という甘い考えで拠点にしたのだった。 実際、この考えは甘かった。東京と違い演劇文化などさほどないし、劇場は公共ホールのみ。小ホールというところでさえ、定員350席程度。当たり前だが埋まるはずもなく、埋めたとしても1回公演しかできないし、借りるのにもそれなりのお金はかかる。小劇場文化がある東京とは違うのだった。これでは東京に出て演劇活動をしたほうがいいに決まっている。でも、悔しいのでいろいろ探して、市の施設で、キャンプ場にある誰も使ってなさそうな屋外ステージを見つけて、そこで野外公演を行うことにした。結局そこで10年間野外公演を続けたが、そこでの経験は大きかったように思う。そのうち、最も大きかったのは、演劇を観ない人たちと直接出会えたことである。そしてそのことは私に新しい視点を与えてくれた。

  野外公演の場合、ほぼゼロから仕込むので、劇場とは違い、仕込に時間がかかる。大体2週間くらいの時間をとって、仕込むことが多かったのだが、その作業中に声をかけてくれる人が多かった。例えば、犬の散歩の途中、舞台美術を立てているのを観て、何をしているのかと不思議がって声をかけてくれる。演劇公演の準備をしていると答えると、大抵の人はちょっと驚く。というのも、演劇というと劇場でやるものというイメージがあるからだ。茨城あたりだと演劇に触れる機会も少ないので、よりそのイメージが強い。それで興味を持って、公演に訪れてくれる人もいたし、中には毎年来てくれるようになった人もいた。

  こういった経験から感じたのは、ともかく「演劇」というものを観たことがあったり、その実情を知っている人は日本では、とても少ないということだった。でも考えてみれば、それはそうだ。東京には、演劇ファンもしくは演劇関係者と言われる人が15,000人〜20,000人いるという噂を聞いたことがあるが、もしそれが本当だとしても、東京の人口から考えれば、極めて少ない。まして、日本全国となれば、演劇を観る人の割合は極わずか、ほとんどの人は演劇を観たことがないということになる。  野外公演というのは、そういう演劇を観たことのない人たちが演劇に触れる機会としては、とてもよいということに気づいた。作品だけでなく、仕込をしているところを通りすがりの人が観る。これも宣伝になるし、なにより数少ない観劇体験から、劇場に行くと「堅苦しい思いをする」と固定観念を持ってしまっている人にも、敷居が低く、新鮮な体験にもなる。

  ひょっとして、演劇を好きではない、もしくは観たことのない、新しい観客と出会うには、演劇を劇場でやっていては駄目なのではないか。  そう考えた時、劇場がなく、公共ホールしかない土地の利点に気づいた。劇場がなければ、日常の何気ない空間を劇場にしてしまってもよいのだ。劇場に来てもらうことを考えるのではなく、私たちが演劇を観ない人たちの日常のなかに、劇場空間を創ってしまえばよい。

  それから野外公演以外にも、カフェや古民家、田んぼなどでも上演した。その成果は地味でゆっくりしたものであったけれど、着実にあった。観客層も初期の頃は学生が多かったけれど(私たち自身が学生だったこともある)、徐々に様々な年齢層が集まるようになった。繰り返し観てくれる観客も増え、中には、私たちが古典作品や文学作品を構成して上演するのに合わせ、原作の本を事前に読んできてくれるようになったり、また感想なども鋭いことを言ってくれる人も出て来た。それによって私たちの作品が変化したところもあり、実感として私たちと観客が相互に成長しているようにも思えた。


イヨネスコ『椅子』台湾公演


  2010年辺りから、他地域での上演も増えて来た。2006年から、地元のNPO法人が所有する元米備蓄倉庫(改装して、アートスペースになっている)の一角を夜だけ間借りして稽古していたのだが、徐々に時間的にも空間的にも手狭になってきたので、2013年に自分たちのアトリエを持つことになった。2000年に旗揚げして、ようやく自分たちが本当に自由にしていい場所というのを持てたので、すごく嬉しかった。
  現在、アトリエはとにもかくにも劇団の作品創作の場と考え、運営している。

  ここで作品をつくり、ここで上演し、地域の人たちに観てもらう。さらにその作品を他地域に持っていく。ということを基本にしている。まだまだ始めたばかりで、思考錯誤している段階だ。アトリエを持つまでは、基本出かけていって、作品を観てもらうという形式だったが、今度はアトリエに来てもらわなくてはならない。いよいよ劇場に来てもらうという段階に来たのだと思う。地域の人たちが様々な演劇に触れる窓口のような場所にしたいと思って、私たちの作品以外にも、他地域で活動するアーティストにお願いして上演などしているが、まだまだとてもそういう場所と認知されるには遠い。ふらりと来たら演劇が観られるようになれば、最高だけれど。

  また別の問題もある。アトリエを持って、落ち着いた環境で創作できるようになって、作品についての考え方も変わって来た。野外公演を行っていたときは、観客との関係を考えながら創作してきたところもあったが、徐々に創作は創作で独立したものとして考えてやってみたいという欲望も出て来た。これは今までの活動から出て来た欲であるが、すべてを状況に合わせてばかりもいられないし、むしろ状況に抗うような作品も創っていく必要がある。そのとき、観客との関係をどう創っていくか、これも考えていかなければならないことだと思っている。

  既存の劇場ではないところでの上演活動を通して、演劇という芸術、劇場という機構は、人の意識を揺さぶるものだと思うようになった。日常のなかで、人の意識はすべてを見慣れたものにしていく。演劇は、そこから外れたところにも、物事は存在し、実は私たちとともにあることを思い出させてくれるように思う。今、自分の活動が地域の中にあることで、見過ごされて来た地域の問題やあり方に少し光を当てられたらいい。劇団が地域にいるとはどういうことなのか、考え続けていきたい。


次回公演
三条会×百景社 合同公演『ヴェニスの商人』
日程:2016年4月上旬
会場:下北沢 ザ・スズナリ




[artissue FREEPAPER]

artissue No.006
Published:2016/01
2016年1月発行 第号
特集・東京以外の劇団からの<発信>

第七劇場(三重) 「多色の時代へ ーそれぞれの創造活動のためにー」
百景社(茨城) 「今まで 今 これから」
劇団アンゲルス(石川) 「地方からの発信=金沢」
風蝕異人街(北海道) 「地方からのアングラ的演劇方法の発信」



 

「飼いならされていない身体の表明」 原田広美
「哲学を生きることのぎこちなさと驚き」 坂口勝彦
「唐十郎は生きている。」 うにたもみいち


 
「縁側」 杉田亜紀 ダンサー・振付家
「いまを生きる僕を」 陳柏廷 / TAL演劇実験室 主宰