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坂口勝彦
ダンス批評家・思想家  
「哲学を生きることのぎこちなさと驚き」

HALORY GOERGER & ANTOINE DEFOORT『GERMINAL - ジェルミナル』
2015年9月11日(金)~13日(日)@ KAAT 神奈川芸術劇場 大ホール




PHOTO©水内宏之

  哲学というと、人間とはかくあるべしというような人生訓や世界観のようなものを日本では想定しがちだ。最終的には実践哲学に至るべきであるとしても、哲学には、存在するとはどういうことか、知るとはどういうことかを問う存在論や認識論がまずはある。その意味での哲学が主題的に採りあげられる舞台作品はめったにないし、あったとしてもおもしろくなるとは思えない。でも、アロリー・ゴエルジェとアントワンヌ・ドゥフォールの『ジェルミナル』は、それに真っ正面から取組み、しかも何が起こるのか予想もつかない切っ先の鋭い体験へと連れて行かれる楽しさまでもあり、それがとてつもない驚きだった。

  蛍光灯がもどかしく点滅する不安定な光と闇の中に男3人と女1人。光が安定し始めると、人間たちは箱を持ってもぞもぞ動きだす。ぎこちなく箱を扱っているうちに、ふとスイッチを入れると背景に文章が映し出される。「頭の中にある考えが外に出て映るみたいだ」と、彼らは気づく。これで意思を通じ合えるのは「便利だなあ」。でも、字幕らしきものが映し出されるのに、言葉を発しているわけではない。彼らはまだ言葉を獲得していないらしい……いったい彼らは何をしているのだろう? タイトルの「ジェルミナル」は「発生」。彼らは人間が人間として発生する始まりを生きている、あるいは生きさせられているようなのだ。

  では、言葉はどのように獲得されるのだろう? それは簡単。彼らはツルハシで床を破壊する。するとなぜかマイクが掘り出されて、それと遊んでいるうちに色々な声を発見し、言葉を発明し、フランス語を話せるようになり、言葉で通じ合えるようになり、大喜び。笑ってしまうほどの急速な進化を彼らは遂げてしまう。さらに、言葉による会話に安心していると、言葉はいつのまにか歌になってしまい、そこに何か得体の知れない気持ちよさを感じて彼らはぎこちなくとまどう。言葉の次に音楽があっという間に発明されたのだ。

  こうして言葉と音楽を得た彼らは、言葉で表されたものをカテゴリーに分類し始める。分類したいという欲望がムクムクと生まれたのだ。マイクでたたいて「ポクポク」音がしたら、それは「ポクポク」の一種だ。床も「ポクポク」、壁も「ポクポク」、ツルハシで壊した床のガレキも「ポクポク」。背の高いゴエルジェ君もたたくとポクポクするから「ポクポク」、でも「痛っ!」と言うから、「ポクポク」のサブカテゴリーとして「痛っ」に分類。なんと素朴でわかりやすいことか。でも、「一緒にいて楽しい気分」という言葉で示されるものはポクポクしない! となると「ポクポクしないもの」という新しいカテゴリーが必要になり、「トラブル」「光」「穴」などがそこに入る。それなら音楽は? 音楽で得られるカタルシスはポクポクしない。でも、光や穴とはどこか違う。そこで彼らは、「心の中でポクポクするもの」という秀逸なカテゴリーを考え出した。


PHOTO©水内宏之

  こうして彼らは、思考と言語と世界という表象問題へと突き進んでいく。その先には、世界からの決定的な疎外が待っているのだけれど、それは人間になるには必要なことなのだ。

  そもそも彼らは一体何をしているのだろう。実は、意識ないしは世界との関係性の始まりをシミュレートする体験パックを実行中という設定らしいとわかるのだが、これは、哲学においてエポケーと呼ばれている基本的態度にも通じる。つまり、日常的な判断や認識を疑い、なかったことにして、もう一度再構成してみようというシミュレーション。でもそれが、哲学者による理念的な思考実験を越えて生きられることは、ない。あったとしたら、世界は突然狂ったように見えるだろう。だから、とまどいながらぎこちなく変化と進化を受け入れて行く彼らをみて笑っていられるとしても、その体験は笑い事ではないはずなのだ。

  最後に彼らは、床から掘り出した沼に温泉のようにつかりながら、これまでの出来事を回想する歌をみんなで歌う。まるで人生を振り返って謳歌するような感動を湛えているのだけれど、それもそのはずで、彼らにとっては、1時間あまり前に無から始まり、少しずつ、でも急速に、ぎこちなく分節化して複雑になって行き、そこまでたどり着いたのが人生のすべてなのだ。

  彼らは、フランスのリールでアーティスト集団「Amicale de Production」を結成して活動している。今回の作品は、横浜のダンスフェスティバルの中で上演されたが、ダンスは皆無。元々リヨン・ダンストリエンナーレの委嘱作品だからダンスなのかもしれないけれど、ダンスであるかどうかはどうでもいい。良質のパフォーマンスやダンス作品が、人間についての洞察を深めるものであるとしたら、『ジェルミナル』は確実にそれを一歩進めるだろう。人間に生まれ、思って、考えて、出会って、話して、思い出す、そういうことをあたりまえのようにしている私たちの日常は、奇跡のようにきわどくぎこちない歩みで作られる。哲学はそれを思い出させてくれるが、それを生きることは、どこか奇妙に狂った世界に入り込むことなのだと彼らは見せてくれる。それが私たちの生なのだ。

ALORY GOERGER(Amicalede Production) www.amicaledeproduction.com



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[artissue FREEPAPER]

artissue No.006
Published:2016/01
2016年1月発行 第号
特集・東京以外の劇団からの<発信>

第七劇場(三重) 「多色の時代へ ーそれぞれの創造活動のためにー」
百景社(茨城) 「今まで 今 これから」
劇団アンゲルス(石川) 「地方からの発信=金沢」
風蝕異人街(北海道) 「地方からのアングラ的演劇方法の発信」



 

「飼いならされていない身体の表明」 原田広美
「哲学を生きることのぎこちなさと驚き」 坂口勝彦
「唐十郎は生きている。」 うにたもみいち


 
「縁側」 杉田亜紀 ダンサー・振付家
「いまを生きる僕を」 陳柏廷 / TAL演劇実験室 主宰