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演出家インタビュー:INTERVIEW1
 

 

  流山児祥 Sho Ryuzanji 流山児★事務所

流山児★事務所代表・演出家・俳優。日本演出者協会副理事長。 70年「演劇団」創立以来第二次小劇場世代のリーダーとして国内外を爆走中。演出作品は300本を超え、国際的評価も高い。中高年劇団=楽塾、高齢者劇団=パラダイス一座などシルバー演劇運動を先駆的に展開し注目を集める。第44回紀伊國屋演劇賞団体賞(流山児★事務所)、第7回倉林誠一郎記念賞、ビクトリア国際演劇祭グランプリなど受賞多数。






前衛について話して頂けたらと思います。前衛については、これは持論ですが、「社会を変革していくという意思」というのがあると思うのですが、今いる社会性からは誰しも逃られないという中で、演出家に限らず舞台に立つ者が社会に対してどう責任を持つのかということが、これからの前衛に繋がっていくのではないかと思っているのですが…。

  次世代の前衛を目指す若者たちへ?俺は、45年以上前にアングラ演劇を始めたわけだよ。唐十郎さんのところに19歳で行って、20歳で佐藤信、芥正彦、21歳で鈴木忠志、22歳で寺山修司という前衛演劇の巨人たちに会っているわけだ。それは、もうラッキーだったよ!で、今言えることは、寺山さんの死が前衛の死だったと思う。今、思うと、舞台芸術は単純に食えなかったということ。寺山さんの演劇は世界では有名だよ。でも、日本では生きている時は全く評価されなかった。これが、日本で前衛と呼ばれているものの実態かな。

30年間でそれが変わったんだよね。その30年間って何だろう?ある意味、演劇が大衆化=商業化したってことだと思う、芸術が商業化した、村上隆に象徴的に見られるように。あなたが言うように、いわゆる社会性を帯びて、時代に先駆けて社会を変えるっていう意識はみんなあったわけだよ。40年前には。みんなが変わっていったのは何でだろうか?すごくシンプルに言えば、鶴屋南北の名言なんだけど「金が仇の娑婆世界」になったんだよ。全部金、金というグローバリゼーションの神様が下りてきちゃった時に、全部が全部細分化されちゃったわけだ。俺もいわゆるバブルの時、寺山さんが死んだ後、小劇場運動のもう一回のうねりのようなものを創り上げようと思って「流山児★事務所」プロデュース公演を始めたんだけど、結局、そのことによってバブルの時代に設立された所謂小劇団が解体されていって現在のぺんぺん草状態になった。俺にも責任の一端はあるとおもうよ。が、社会にそういうものっていうのはあったわけだよ。つかこうへいさんや野田秀樹君が出てきたときあたりからさ。83年の寺山修司の死以降は、全てが商業化されたっていうことはもう誰の目にも疑いようのない事実だと思う。にも関わらず、商業化されず自分たちの足元、身近なものとのネットワークを繋げたい、それが社会性だよね。平田オリザさんらとはちょっと違った形でのやり方を今、俺は探しているわけだよ。どうしても、「公共という名の演劇」に、ある種の胡散臭さを感じてしまうんだよ、俺は。かつての「新劇」がそうだったように。オーバーに言えばね。例えば太平洋戦争の時には、戦争のお先棒を担いだし、いとも簡単に大政翼賛会になったように。演劇は国家とか社会とか公共というものに常にお先棒担がされる部分になる性質を持っている。いつの時代も、前衛より演劇政治屋どもが幅を利かすんだよ。

  でも、ニートだとか、引きこもりだとか、色んなニンゲンが出てくるとさ、それに対して、どうやったらコミュニケーションを取れるか、とかさ、そういうものとして演劇はステキなツールじゃないか。それは大切なんだよ。でも、やっぱり世の中の圧倒的な矛盾というのはなんだ?「とにかくなんでもいいから価値なんてぶっ壊しちゃえ!」ってところに演劇はあるわけじゃん、特にアングラはね。「世の中がどうだっていいじゃないか、でも世の中を変えよう」っていう。つまり、世の中の価値を転倒させるとか、アントナン・アルトーの「凝視する精神の彼方」だよ。と、言いながらも、俺はある意味逃亡を続けている感じがする。権威(エスタブリッシュメント)から逃げながらも闘う。逃げながら社会とどう付き合っていけるか。社会を具体的に動かしていくっていう方法を、Space早稲田っていう拠点劇場を作って18年間で俺たちなりに学んで、面白いコトをやってるっていま実感してるんだよ。 俺、この14年間、1か月海外、1か月地方、10か月東京にいて6~7本の芝居を劇団員と創る日常が続いているんだよ。そんな「流山児★事務所」は日本ではかなり珍しい劇団だと思うよ。20歳から66歳の俺まで、見事に「3世代」のメンバーに海外の3人を含めて35人もの劇団員がいて「楽塾」という平均年齢63歳の中高年劇団もいれると50人もいるわけだよ。Space早稲田は1年365日フル稼働し、芝居を創っている。「劇団」なんてところにこんなに多くの「人間がいる」っていうことだけで、俺は凄いことだと思うよ。


~『ハイライフ』

  俺は演出家でもあるけど、プロデューサーで、演出家で、役者で、今は殆どいなくなった「演劇運動家」なんだと自負している。ま、役者という原点に忠実に生きたい運動家!結局、金や名誉を持ちたいわけじゃないし、家も遺産も別れた女房に全部渡したし、入るべき自分の墓も要らないので息子にはその辺に「骨は棄てろ」と言ってあるし、いまも、高田馬場の6畳一間の襤褸ビルに住んで、たまのバイトの声優でなんとか糊口をしのいで、芝居三昧の日々を送っているわけだよ。結局、何(記録)も残さないってことで、逆に何か(記憶)を残していくっていうことしかないんじゃないかな、役者(演劇)って。これも世阿弥の言葉じゃないけど「初心忘るべからず」だよね。19歳で状況劇場、21歳で早稲田小劇場研究生になった時と、基本同じ。バイトしながら芝居をやってさ、それが健全な人生だと思うよ、ほんと、あなたそう思わない?大体世の中にいらないのが、俺らの仕事なんだから。唐さんのいう乞食男爵。俺たちはアルチザンなんだよ。乞食の凄さっていうのはね、世界を飛び跳ねられる「自由」を持っているわけじゃないか。そのため「好き勝手なことをやろうぜ!」っていうネットワークを世界中に作りたいっていうことじゃないかな。

  今、佐藤信の『阿部定の犬』っていうのをやっているんだけど、20代前半の連中には全く言葉が分かんない。でも、1か月半稽古して、色んなことを勉強して、知るわけだよ。多分そうやってしか変わっていかないと思うのよ。今、何か、アングラブームだよね?「水族館劇場」も「唐組」も「新宿梁山泊」のテントもお客さんいっぱいだし、芥さんのところも来ているし、「発見の会」も元気にやっている。『阿部定の犬』は連日超満員札止めで1100人もSpace早稲田に詰め掛けるという現象がおきている。若いヒトには面白いんだろうね。高校生が今回もほんとに多く来てくれたんだけど、「何が面白い?」聞いたら、「好き勝手やっていること」、それも「命がけで好き勝手なコトをやっている」との答。嬉しかったねえ、まだ芝居は棄てたもんじゃないと確信したよ。

  「水族館劇場」を観ていると1年に1回しかやらないから、全ての生活を賭してそこにぶっこむわけじゃないか、そういう彼らのやり方はある種の純粋舞台芸術だと思うのよ、俺は。俺は1年に6~7本やる。彼らとは生き方が違うんだよ。これしか俺にはできない。俺は、儲けることは出来ないけど、何とか「生き延びる」芝居を「命がけで」面白おかしくやるだけ。

  『阿部定の犬』上演のあと7月Space早稲田で河竹黙阿弥:作『義賊☆鼠小僧次郎吉』っていう歌舞伎を海外レパートリーとして創りあげ、2015年2月・3月韓国ソウル、台湾タイペイを皮切りにアジアの縁と日本の縁をずっと廻ろうと思っている。東北ツアーも予定している。今年はSpace早稲田に福島、仙台、熊本の劇団がやってくるんだけど、東京の演劇を相対化する場所にあのちっちゃな劇場がなればいいなあと夢想し、いろいろいま、考えているところ。

  東京には極一部を除いて、演劇はないと思うよ。所謂、ぺらぺらの判りやすい若者演劇には俺は興味ないね。おもしろくない。そりゃ確かに、中屋敷法仁、中津留章仁、日澤雄介といった演劇の最前線の劇作家・演出家の才能とのコラボレーションもやっているし、戌井昭人という超才能にも出会って「目からうろこ」の昨日・今日も事実なんだけど。芥川賞5回ノミネート・川端文学賞受賞作家:戌井昭人「新作」書き下ろし『どんぶりの底』は9月~10月ザ・スズナリ、「流山児★事務所」創立30周年記念公演第1弾として上演する予定。若いヤツラは、個人の才能はあるんだよ。個人的にはあるけど、それが「集団」になってとか、例えば群れをなして世の中をひっくり返すとかいう意識は薄い。商業化される演劇しか彼らは知らないんだから致し方なしだよ。中屋敷君が演劇界のSMAPになるのはいいことだと思うよ。一緒にやった『アトミック☆ストーム』の次も今、考えている。俺は若い連中とずーと付き合っていたいと思っている。鐘下くんと日澤くんのコラボも来年やろうと思っているんだ。

   教えてあげるけど、俺、個人的な趣味で「一人リーディング」っていうのを時々やってるんだけど。平田オリザ、前川知大、三浦大輔、岩井秀人、前田司郎、柴幸男、藤田貴大、一人リーディングとかね、やるとコレが面白いのよ!それにしても、天野天街の影響って凄いなあ、と彼らのテキスト読むと感じるよ。繋がりがあるわけだよ。

  やっぱり。色んな才能はあると思うんですよ。ただ、そこに商業化されない方法ってあるのかい?「じゃあ、前衛ってなによ?」って話じゃない?じゃあ、松本雄吉さんは前衛か?俺と松本雄吉は、飛田演劇賞最優秀前衛賞を貰っているんだよ、俺と雄吉さんと麿さんと太田省吾さん、この4人が最優秀前衛賞。俺は自分を前衛だと俺は思わないけど、大阪の演劇人は俺を前衛だと思うわけだよ。その感覚がおもしろい。俺は自分では圧倒的に大衆演劇の人だと思っている。最も「真の前衛」っていうのは、大衆の中にあると思っているがね。そういった意味では山元清多さんも前衛だと呼びたい。佐藤信は、世界や歴史を叙事的に描いているが、冷たいよね、ブレヒトだよねってなっちゃう。俺は温度がある人間のが好きなんだよ。唐さんのエモーショナルが好きなんだよ。寺山さんもある意味クールなのかもしれない。だから、クールな視点で社会や歴史を見てんのかもしれない。

  で、つまりは、何も残らない方がいい、何も遺さない方がいいんじゃないと思ってしまう。俺たちの仕事って「記憶に残る仕事」じゃない。最近、本を出版したら?とよく言われるんだけど、断ることにしてるんだよ。俺は遺したくないのね。死んだ後に、誰かが遺してくれるのは構わないけど。やっぱり何て言うのかな、記憶に残る仕事ってのは「出会い」しかないわけじゃない。そこだよね。旅する演劇。


~『ユーリンタウン』

  ベラルーシとか、イランとか、エジプトとか行くと「あぁ、大変だけど演劇人って凄いなあ」ってすごく単純に感動するわけだよ。あそこではあらゆる表現方法が検閲=抑圧されている。日本の演劇人はイランやベラルーシに行ったらいいよ、と思うね。男女が触るのもダメだし、だから例えば皿と皿が触りあってセックスのシーンを作っちゃうとか。ペルシャ文化とアラブの文化の相違も分かるしね。僕たちはカナダには何回も行っているのは、あそこは多民族国家。そういうところで、逆に見えてくるもの・ことっていっぱいあると思う。だから、俺は若い演劇人、演出家にしょっちゅう「とにかく海外に行け」と言っている。海外に。1~2年行ってきて、そこで見てこいよと。中国の戯劇学院やオーストラリアのNIDA(国立演劇大学)にしたって、チェーホフ・ブレヒト・シェイクスピアは基礎で、いろいろやっている。だったら、日本の大学の演劇学科はまず鶴屋南北を読めよ、でやってみろ!と言いたい。唐十郎と南北は一緒だよ。両者とも「最下層の人々の物語」を書いているじゃない?それが本当の前衛だと思う。日本演劇の最前衛は鶴屋南北だと思うよ。権力の話を書いたってしょうがねーじゃん。その辺がやっぱり井上ひさしさんにしたって『薮原検校』以外、良識派で終わってしまった。井上さんとは『濡れた欲情』という特出しストリッパー21人の芝居を新国立劇場の噴水に野外ステージ組んでやろうと、死ぬ1年前まで本気で画策してたんだけどね。イランでは色んな意味での表現方法が抑圧されている難しい段階の中で考えている人たちは、それなりの作戦を練るわけじゃないか?日本はなんでもありなんだけど、自主規制が圧倒的にある。まずこれをやっちゃいかんだとか。その方がよっぽど気持ち悪いよ。

  寺山さんが死んで30年、山元清多さんが死んで4年、つかさんにしたって、みんな死んでっているわけだからさ。彼らのテキストを、どう次世代が読んで自分たちの物語にしていくかだよね。物語と言っても、ものすごく生々しくて、時代と切り結んでいた証なんだよ。 寺山修司の「劇の中断」もそうだね。だからそれは、J・Aシーザーにしろ、俺にしろ、シーザーは直系の人だから。俺はもっと遊びたいっていうかさ、やっぱりそれは寺山さんも俺にそう望んでいるんだと思うね。

  つまり、「劇の中断」とか、劇の解体の先にさ、つまり1000万人の自分たちのドラマ=時間っていう半分はお客さんが作るもんじゃないか。そこだよ。そこにもしもあるしたら社会性だな。俺がこの3年間、池袋の豊島公会堂で寺山演劇をやっているってことは、現在の演劇界に対する批評であるし観客論なんだ。あそこは、昔は政治集会やっていたところなのね、俺はなんどもあそこにいったことあるし、最近でもヘイトスピーチをやっていたところなのね。で、中池袋公園とくっ付いている。そういう町に開かれたところに劇場はあるべきだと。で「劇」は劇場にあるんじゃなくて、やっぱり「劇の中」にしかないんだよ。他者とわたしが出会う場所が劇場なんだよ。劇場って構造は、確かに管理するのは楽だよ。今のアートマネージメントにしたってなんにしたって、すべてが管理されて、それで果たしていいの?っていう。そっから一番落っこちている連中がやるのが、いられるのがお芝居なんじゃないのっていう、そういう単純なことを思うんだよね。そんなことできるんだったらとっくの昔になってるじゃん!まともに喋れない、口も聞けない、赤面対人恐怖症で引きこもりで、なんか世の中に対してむかついているとかさ、そういうヤツラがいられる場所が、演劇の場所なんじゃないのって俺は思うけどね。

  まず健全な人間ばっかりいるとこはおかしいと思った方が良い。うちなんか中卒もいれば、有名国立大学卒の超エリートもいる。若手以外は、いまや、ほとんど結婚して子供もいるから、三世代同居。普通、芝居は結婚しちゃうと辞めちゃうんだよ。前衛も芸術もへったくれもない、生活なんだよニンゲンは。俺は2回も離婚しているし、今月、息子に女の子が生まれておじいちゃんになったんだけどね。孫娘に残すものべきモノはない。但し、記憶には残るだろう。「変なおじいちゃん」がいたと。

  ベラルーシのミンスクに行くと、福島の未来を思ってしまう。色んな原爆症の人たちが町に、チェルノブイリもあればシャガールも生んだ国、でアウシュビッツに次ぐ2番目のユダヤ人収容所もあるわけですよ。そういうトコロで芝居をやる経験はやはりすごい。おまけに、たった5日間の滞在で舞台監督がベラルーシ美人とその後国際結婚!なんて嬉しい出来事も起こる、コレほんとの話なんだから。いや、それにしても、「恋」ってすごいよね。そんなことで僕たちの芝居が変わっていくわけだよ。寺山さんの『狂人教育』『花札伝綺』、鶴屋南北『盟三五大切』、カナダ演劇の『ハイライフ』、三島由紀夫『卒塔婆小町』といったレパートリーを持って14年間「世界」を旅しているとやっぱり自分たちが変わっていく。つまり、世界の中で相対化されるっていうか、自分たちの「表現=現在」を常に世界に見せていくしかないんだよ。

  今やりたいのは楽しき三世代同居演劇だね。つまり、もう若い連中もいれば、ガキもいれば、今度俺、子供の街頭劇を福岡で4日間ぐらい作るんだけど、小学生と一緒に作るんだよ、そういう時にとにかくアナーキーなことを吹き込むと。子供になにやってもいいんだぞ、すき放題にやれって焚きつける不良ジジイでいたいね。寺山さんが俺たちにずーっと言い続けていたのはそれだもん。

  常に時代より一歩先に行っている感じはあるよ。まあ、逃げ続けているっていうか、わざとずれている感じだけどそれでいいじゃん。(2014年6月)

 

次回公演
流山児★事務所
創立30周年記念公演
『どんぶりの底』
2014年9月26日(金)~10月5日(日)
@下北沢 ザ・スズナリ
http://www.ryuzanji.com/



[artissue FREEPAPER]

artissue No.003
Published:2014/09
2014年9月発行 第3号
演出家インタビュー
INTERVIEW1 流山児祥 流山児★事務所
INTERVIEW2 J・A・シーザー 実験演劇室◎万有引力


 
「戦後アメリカ前衛演劇の軌跡」 戸谷陽子
「Cui?公演から見えてくる母性の欠如」 水牛健太郎
「時事問題の取り扱い方」 藤原央登

 
「前衛芸術が更新するもの」 櫻井拓見 / chon-muop
「裸の理論武装」 カワムラアツノリ / 初期型