現在、「artissue」は編集部の自費のみで運営・発行しています。まだ始まったばかりで試行錯誤の段階ですが、応援して下さる皆様からのカンパをお願い致します。集まったカンパは今後の運営資金として大切に使わせて頂きます。
これからも「前衛」の魅力について多くの方に紹介していきたいと思っています。いくらでも構いませんのでご支援のほど宜しくお願い致します。誌面広告も募集しています。

・振込先:
郵便振替 00130-9-359857「artissue」
※備考欄にカンパとご明記下さい。

・他行からの振込 
ゆうちょ銀行 019 当座 0359857
   
演出家インタビュー:INTERVIEW2
 

 

  J・A・シーザー 演劇実験室◎万有引力
Julious Arnest Seazer

69年「演劇実験室◎天井棧敷」に入団。『邪宗門』よりすべての劇音楽を手掛ける。71年の寺山修司監督映画『書を捨てよ、町へ出よう』等、寺山映画の音楽を担当。75年の『疫病流行記』以降は寺山と共同演出。 83年寺山死後、解散した「演劇実験室◎天井棧敷」を引き継ぐ形で「演劇実験室◎万有引力」を結成、主宰者となる。以降現在迄の全作品を演出。






「演劇実験室◎天井桟敷」が演劇を通してやろうとしたこと、そして、寺山修司さんの遺志を継いだ「万有引力」が結成から30年経って、社会情勢も変わったことによりどう変化していったのか、それをこれからの前衛の在り方を踏まえて話を聞かせて下さい。

  寺山演劇の到達点に社会の変革というものがある。それは観客の中の1人でもいいから寺山演劇を体験して何らかの自己変革を引き起こすというものだね。そのことが寺山演劇の望みというか、期待されるものだよね。つまり、我々がやってきたことはそのための仕掛け(起爆)であって、変わるのは観客、あるいは俳優の一部なんです。前衛と言っても、演劇の場合は事件とか日常の異化的変化であると思うんだ。日常時間に異化的、演劇的時間を投げ込むものだと。だから、どれだけの影響を観客に与えたかってことは実際には分からない。

  寺山さんも演劇をやりながら20年後に20年前の観客と出会い、その観客がどう変わっているかってことを確認というか、知りたいというようなことを言ってたね。最終的な演劇の目標の一つっていうか、演劇をやってるわれわれが「その日のアンケートよりは、数十年後の結果を知りたい」と思うものだと思うな。でもね、やったことはあるんだ。数十年後に《当時の観客の今を》ってことで連絡をとったんだ。すると「私が天井棧敷を観たってことは内緒にしてください」とか「参加してたことは主人には言わないでください」って。驚いたね。前衛による変化に多くの社会の人たちは耐えられないものなんだと。若い頃は刺激的なものとしての前衛っていう感覚が強かった。でも、一度日常に戻ってしまうと、前衛的なもの、特にわれわれがよく言う演劇的時間と日常的時間は全く別のもの。われわれは時間を自由に操作できる。瞬きの一瞬を数時間に延ばしたり縮めたりできる。千年の歴史も1時間に短縮して体験させることもできる。赤ちゃんに戻ったり、瞬時に老人になったりもできるわけだ。もちろん椅子にも鞄にも昆虫にもなれる。そういう時間的、精神的、ともすれば無意識的作用が演劇にはある。劇場空間そのものが前衛という望まれた一つの世界でもあるのだろう。それを体験して劇場を出る。と、何かが変わってるような気になる。何か印象的なもの、色、雰囲気が頭のまわりをグルグルしている。映画「ハリー・ポッター」を観たあとに、なんだか自分も魔法が使えるような気がする。しかし、多くの観客は駅の改札口を通った瞬間、電車に乗ってドアが閉まった瞬間、アパートのドアを開け、閉めた瞬間ほとんどが消えてしまうんだろうね。その辺が寺山さんと私の悩みでもあったのよ。

  つまり、寺山さんとしては、アパートに演劇を持ち帰って欲しかった。日常に演劇を持ち込んで続きをやるとか、日常の演劇化をやって欲しかったと思う。観客の一人、あるいは、二人でもいいから感動じゃなく衝撃を日常に持ち込むことが出来ればと。ヒトラーの演説が引き起こした作用にも似てる。だから、まともなドラマ劇だと作用しないんだよね。前衛という形、何かを変えようとする場合には、既成のものでは難しい。「常識外れな発想を持って、一つの世界状況を創るしかない」っていうのが寺山さんの言葉にあると思うんだが、その常識外れというのは、実は非常に常識的、というか純粋、無垢、情熱から来るもので、社会システムに常識化されている多くの現代人は初めから常識から外されてしまっていると言えない?そんな人々を常識外れなことから常識人に戻そうとするものも前衛の役割にはあると思う。

  また、70年代の前衛劇、特にアメリカ前衛劇にあった舞台と客席の境界線を失くそうとした演劇形態そのものの変革も寺山さんにはあった。「われわれが半分作り、後の半分は観客が作る」という考えがそうだった。たとえば『観客席』という劇では《プロの観客の育成》というものがあった。今やっているわれわれの演劇を脅かすようなプロの観客、つまり、次世代の、新しい演劇人たちの新たなる演劇形態といったものかな。

プロの観客?

  プロの観客。今は観客に対してこう上から乗っかっていく、上から目線という形が多いじゃないですか。押しつけるんじゃなく、対等な立場で一つの世界を作るっていうかな。観客訓練。観客ワークショップ。海外にはプロの観客って多いと思わないですか?海外の観客は非常に論理的っていうか、当然、演劇の歴史が長いっていうか、深いわけだから、おのずと観客も生半可では劇場に来ない。宗教戦争なども多かったし、人間的にも強くなったんだろう。そんな国で演劇をやるということは、観客はもちろんビジュアル、音楽、照明などでも対等になれると思った。演劇の里帰りでもあるわけだしね。だから、「天井棧敷」が69年から海外が多くなったのは、寺山さんにとっては願ってもないことだったんじゃないかな。プロの観客と演劇が出来るわけだ。だから、どんな方法でやるかってよりも、色だったね。照明の色だったね。つまり色でどう変えていくか?たとえば「私はあなたを愛しています」という言葉を、赤で喋った場合と、青で喋った場合と、緑で喋った場合と、マッチや蝋燭といった生の灯りで喋った場合と、最近のLEDで喋った場合とでは、観客の受ける印象は全然違うんですよ。そういう色の選び方、光合成、それから舞台後方や誰もいない舞台空間にどんな色を置くかということは寺山さんも考えたね。だから、最初の海外公演では照明プランもオペも寺山さんがやったんだよ。作品の勝負どころが分かってたんだろうね。最終的な大仕掛けは、音楽とかもそうだったと思うけど、包括的な舞台装置も小竹信節の装置以外にも劇場のあらゆる所を寺山さんは装置化したよ。客席はもちろんロビーや倉庫や裏庭までもね。俳優を演出するよりは、劇場そのものを演出して俳優達が思い切って演じられる環境を作るってことだったんだろう。

  観客に対しても単純に衝撃を受け入れるって演劇状況を作ろうとしてたな。そういったことが寺山さんの衝撃の起爆性、脅威性、遊戯的演劇趣向だったと思う。ただ、本人がいないので、これが正しいかどうかは確認は出来ないけどね。面白いことに寺山さんは単なる演出家ではなかった。そうだね演劇編集家だったんだね。知ってると思うけど、最初に「天井桟敷」を立ち上げた時は東由多加が演出、次に萩原朔美、そして竹永茂生と演出家が変わってる。作・寺山修司。だから寺山さんは演出家じゃなかった。演劇編集家だったんだ。それは彼が小さいころから壁新聞が好きだったことから分かるように、新聞の社会面から三面記事までの今の情勢を一気に演劇化してしまうって才能だったと思うんだ。台本で言うと『コメット・イケヤ』なんかそうだよね。彗星が発見された記事と一人の人間の蒸発記事の話。そんな意外なことへの着目、着眼性、奇想天外な《ありえる、ありえない》発想が寺山さんの前衛性だったんじゃないかな。日常を異化する出来事としての演劇を、茶目っ気な少年編集者として《事件した》といってもいいんじゃない。


~「演劇実験室◎天井棧敷」時代のJ・A・シーザー氏

当時と社会情勢も変わってきて、そのお客さんの質というのも昔とだいぶ違ってきてるんじゃないかと思います。その上で、何か当時とは違って今だからこそ通じるアプローチなどはあるのでしょうか?

  前衛演劇の役割は、寺山さんが亡くなる5年前、つまり70年代後半あたりには終わっていたと言ってもいいんじゃないかな。再び興行主体の保守的な演劇の方に進む兆しが見えてきはじめていた。寺山さんも映画を撮ったりすることで次の演劇を模索していたともいえなくもないと思うんだ。おそらく「天井桟敷」としては『奴婢訓』の海外公演あたりが一つの区切りになってると思うな。その後『レミング』『百年の孤独』と続くんだけど、言葉が多くなってきた。そのことからも既に寺山さんも立ち止まっていたんじゃないのかなって気がしたね。

  ただ、そんな演劇状況下にあっても演劇が完全に終わったとは思ってなかっただろうけどね、寺山さんも我々も。でもね、助成金だの何だのってお金の問題など色々出てくるようになって、演劇界においても、観客にしてもアングラ離れが始まり、タレントや台本主体の上演作品が多くなってきた。「天井棧敷」は『百年の孤独』で終わってゆくわけだよね。「百年たったら帰っておいで 百年たったらその意味わかる!」っていう言葉が印象的な作品で終わっている。象徴的といってもいいよね。その『百年の孤独』の稽古の最中にね、寺山さんがわたしに「わたしが台本書くから、これからはあなたが演出をやってくれ」って言った時、わたしは寺山さんの病気は治ると本当に信じたね。もう一度、「天井桟敷」をやれると。そんな矢先の寺山さんの死だった。もちろん、その死をもってわたしは劇団どころか演劇も辞めようとしたんだ。

  しかし、劇場葬に集まった多くの取り残された劇団員を見てるとそうもいかなくなった。そしてこう思った。寺山さんは死をもってわれわれを置き去りにした。その置き去りにされた、荒野のようなところに何もかもを失いかけているわれわれは立っていた。「始まったものは終わらない」「家なき子は俳優になるしかない」といった寺山さんの小さな言葉をポツンポツンと思い出しながら、「あらゆる状況も演劇のうち。ならば寺山さんを死亡退団ってことにして劇団を続けることにしよう」って話になり、劇団を存続することにしたんだ。これから先どんなことが起ころうともってね。残念ながら、「演劇実験室◎天井棧敷」の名は九條さんの強い要望があって、継ぐことは出来なくなった。

  そこで本公演されないでアトリエ公演のみだった『引力の法則』こそ今のわれわれの状況だってことも含め、寺山さんの友人だった谷川俊太郎の詩『二十億光年の孤独』の中の「万有引力とは引きあう孤独の力である」から名付け、「演劇実験室◎天井棧敷」の衣鉢を継いで「演劇実験室◎万有引力」を旗揚げしたってわけ。どう、名前の付け方にも象徴的なものを感じない?本当に、狙ってそういう形になったわけじゃなくて、もう偶然でしかなかった。わたしにとって死ぬわけのなかった寺山さんは、ひょっとしてもう自分の役目は終わったと、マーク・トウェインの『不思議な少年』みたいに天空界へと帰っていたんだと何度も思ったな。夢が好きだった寺山さんだったから、寺山さんの死も夢として捉えようと。未だにそのままだな。わたしは寺山さんの夢の中で生きているんだってね。寺山さんは、実は自分のことをものすごく知ってたんで、自分では演出はせずに、自分と一緒に、同じ方向を見つめることの出来る演出家を使ったんだろう。その演出家のためにひとつの出来事、事件を計画策略した台本を編集した。列車強盗、銀行強盗を計画する知能犯のように、演劇という精神強盗をね。時代強盗かな?結果、怪盗・鼠小僧のように金じゃなく思考をばら撒いたんだよ。騒がれた盗作事件もそんな行動の一種じゃなかったのかな?寺山さんにとっての事件というのは、社会へではなく、自分に対する、人間そのものに対するテロリズムだったと思うんだ。テロリズムと前衛の怪しい関係だよね。

  話を戻しますが、演劇の結果ってやつね。20年後に観客にインタビューしたって話だが、海外でそういうことをやった演出家がいるんだよ。カントールだったかな?イタリアの演出家だったかな?とにかくどこかのグループの演出家だったと思うんだけど、入場の際にマッチが1本入ったマッチ箱を渡して、「20年後に僕が芝居をやってたら、ここに来てそのマッチを擦ってくれ」っていうことをやったんだ。残念ながら、われわれはその20年後の劇を観ていない。観たかったね。感動を与える作品は別として、衝撃を与える前衛劇、少なくとも「天井棧敷」やわれわれ「万有引力」は、そんな劇の方向性までもが演劇であり、活きているべき演劇として捉えていると思う。

  演劇の手法の一つに身近なものの再確認、再利用、新解釈というのがあるんだ。日常に転がっている身近なものはそれだけで橋渡しのような役割の言葉にもなる。身近なものを使うことで役者も観客もね、何らかの存在感を感じると思うんだよ。もう一つの魔的な言語力、存在力にもなるってことだってありうるんだよ。身近なものって、いつも《ある》《感じてる》《見落とし、見忘れられ》ても何かの拍子に意識してしまう。無意識と意識のシーソーごっこで存在している身近なものたちだよね。そんなものが舞台に《いる》《ある》ことで表現の助けになるってことだな。演劇に重要な音に関して言えることは、音響のデジタル化だよね。あのデジタル音群はアナログ音よりはるかに劣るってこと知ってるよね。ということは間違った音を毎日イヤホーンで聞いてる若者がダントツに多いってことだ。間違った音が古代からの耳や大脳にどんな影響を与えているかだよね。どころか精神にも様々な影響を与えていると思うよ。最近の安直で直情的な、不思議不可解な事件を見てると一概に影響してないとは言い難くないですか?音が変わることで人間性も本質的には変わっていってると。これも変革というんであれば変革だろうが、奇妙な変革だよね。ともすれば、あるまじき変革だよ。

  これは「天井棧敷」時代からわたしはやっているんだが、本番で生演奏するんだ。少なくても「天井棧敷」時代はテープだった。アナログだよね。これこそ演劇の音出しの基本なんだよ。でも今は金銭的な、時間的な問題でパソコンなんだよね。録音も音出しも。諦めようにも諦めきれないが、諦めてるよ。もうすでに『鉄腕アトム』の世界に入ってるんだろうね。そういう意味では、もう一度、少なくとも音響だけでもアナログに戻したいですよね。戻れるものなら。無理でしょうね、今の時代、生まれてすぐデジタルですからね。動物が初めて目を開けたときに見たものが親と認識するように、赤ん坊も同じように認識するんだろうね。妊娠から出産までは古代のまんまなのに。だから、これから先は、もう新人類の時代として捉えるしかないと思うな。『鉄腕アトム』の世界に行かなきゃいけないんだと。でも『鉄腕アトム』も未完成、不完全だと言ってるよね。「悪い気持ちを持ってない」ってことらしいんだ。悪い気持ちと常識外れ。だから今流行っている芸能みたいな芝居しか今後は流行らないと思うな。でも、そんな時代であっても、寺山さんがやっていた変革性、前衛などの実験劇は消えないとは思いたいね。その意志というか、そういうもの、前衛・アングラみたいなものをまだ面白がる観客もいるので、そういう観客たちとやって行くしかない。そういう観客はストレートに衝撃を受けている。特に、そうだね、今は芸術を志向している観客が多いかな。観客層も年々代わったからね。さっき言った《プロの観客》と意識してるよ。

  昔は電通の人もよく来てくれてた。で、観劇から反映したアイデアってものもあったって噂もあるんだよ。もちろん、どう反映してたかは分からないが。っていうか知る手段もなかったからね。知りたくもなかったし。どう言えばいいかな。「天井桟敷」って形は終わっているんじゃない。終わろうはずがない。いや、終わらしちゃダメなんだよ。次世代に向けての演劇か。それはやっぱり、時代性もあるんだろう。アマゾネスというか、女の時代、女優の時代が来ると予想するね。だって、今、オーディションやるよね。すると9割がたが女性ですからね。1割が男性。演劇のエルニーニョ現象とかフェーン現象が起きているとしか思えないんだよ。どこに追いやられちゃったのかね、あの頃の男達はって思うほど男がいない。確かに、新劇的な俳優さんたちは結構いるが、ほとんどがテレビや映画が目標だと思うんだ。アングラ的な、前衛的な俳優はもう皆無に近いね。でもそれが一時的なものなのか、あるいはこのままで行ってしまうのか。ただ、寺山さんの演劇構造は恒久悠久性があるので、われわれも再演という形で、もちろん役者も舞台も音楽も全部違うもう一つの世界としての上演は続けていくつもりでいます。

個々の作品の中で演じる俳優の身体性について寺山さんはどういう風に捉えていたんでしょうか?

  寺山さんというか、それは我々も同じこと。その人の持っている個性の力強さ、社会などに押し殺されているその人らしさを俳優の根源として考えているわけだ。自分らしさと自分のための前衛性、変革性、テロリズムから来る自己開闢というか、そんな個的ワークショップから舞台への旅のようなものが、舞台上でのその時々の《当意即妙》的表現となって、舞台、音響、照明、しいては観客をも巻き込んだ、一つの世界を共有するというかな。そんな人間性における事件的演劇を上演したいね。舞台の上の俳優達がみんな大声で、キビキビ凛々と喋る俳優達だったらつまんなくないですか?

  その辺、寺山さんは奇優怪優を俳優として、見世物的なものとして演劇をやろうとしたわけですよね。それですよ。そういう人しか俳優の資格は持っていないと思うよ。訓練され、同じ演技を要求された俳優は学習人形だよね。日本の俳優で役作りといって練習積んできた個性的な俳優なんて数えるほどしかいないんじゃない?やっぱり何もかもがその俳優のすべてで活きている。そうね、リチャード三世みたいに、せむしでその筋肉が軋むという。また自身の筋肉で躍動するといった身体的すべてを持った俳優っていいよね。上手くやってみようとか、もう少しこうやってみようとか考えてる俳優はダメだと思うな。

身体的な特徴に限らず、社会によって抑圧された身体を解放していくことで、誰しもが舞台に立つことができる、前衛に関わることができることになってくるんですね。

  うん。だから今言った社会的常識よりも個人的常識ってものがもっとも大事で、その個人的常識ってものは自分で考える人間的自分。だから社会ってものを外さなければならない。でないと、前衛とかって言葉にすら辿り着けないと思うね。まずそこから出発しなきゃいけない。

  寺山さんが映画『ボクサー』で言ってるよね。「故郷は捨ててきたか!親は捨ててきたか!兄弟は、恋人は捨ててきたか!」ってね。また寺山さんの中にある《嘘》。嘘というのは空想の一つ。で、空想というのは真実へと誘う将棋盤やチェス盤のようなものだと思うんだ。だから真実は必ずどこかにあるとして、その真実を探ろうとすると、いろんな道具をあれこれ用意することになる。その道具を持って盤に乗る。と、駒を動かすために空想の言葉を唱えながら、持ってきたいろんな道具も駆使し、動かすしかない。果たしてそんなんで本当に真実に辿り着けるか?寺山さんの『毛皮のマリー』に「歴史はみんなウソ、去ってゆくものはみんなウソ、あした来る鬼だけが、ホント!」という言葉があるよね。そうなんだ、一歩先の期待を持って自己を解放してゆく信念というか、万物万象の中にいながらにして自己を解放してゆくというか、そんなイメージを自分の中に大きく持っていないといけない。それは力強さだよね。自分を信じきる強さだよね。わたしにそれがあったかといわれると「あった」と答えるかもね。ってことは、相当社会の形から外れた自分というものを意識していない限りだろうね。だから「一般的じゃないよね、この芝居は」って今の観客に言われると情けなくなるよね。「一般的芝居って?」ってね。それが今の現象ですよ。だから、もっと多くの人が個人に戻れるようになるともう一度前衛が復活する可能性はあると思うが。ルネサンスじゃないけど、過渡期あとの区切り、節目から起こる活発な運動体が起きて欲しいよね。

  「天井棧敷」初期の頃は、作品の構造だけでも観客は感動していて、互いに認め合う時代でもあった。すなわち、観客のテンションも高かったのよ、もの凄く。学生運動もあったでしょ。なんか自分を変革しなきゃ、変革しなきゃって時代だったんで。貧しくても頑張っていたな。そんな激しさがあった時代だったな。いろいろな劇団ができたよね。強かったよ、それぞれが。観客は少なかったけどね。役者も観客も似たような境遇、思想で劇を楽しみ、何かがあちこちで動いていた。『家出のすすめ』。多くの吹きだまりの人々がどう動き出すかって期待感が寺山さんの中にはあったんだろう。『時速100キロの人生相談』という本で、高校生と直接会話してたよね。あの時代が寺山さんにとっての本当の革命期だったんだろうな。ある本の『奇跡の庭』って話には、サーカスや見世物の人たちは都会の一角にある建物の地下に目を凝らして自分達の出番を待っているって書かれていた。空想であっても、いや空想だからなおさら面白い。バイタリティが必要なんだな。何にも挫けない活気だよ。人間の一番人間らしい人間をもつこと、すなわち自分の一番自分らしい自分をもつことだよ。おそらく見世物の人たちにはその力があった。崖っぷちに立った人間がどういう生き方をすればいいのか、やることがなくて、東京の吹き溜まりに吹き溜まってる、どうしようもない放浪の人だけど、同時にそれを、逆境じゃないが、それを超えていくという信念。新しい世界を創るんだっていう気持ちだけ。だから有名になったりすることではなく、ただ、その日その日の自分の遺志を強く継いでゆきながらの伝染伝承現象、それが演劇だと思ってる。

  フランスで『ハムレット』を観劇した後、寺山さんに「公演が終わった俳優達がよく来る居酒屋へ行こう」って誘われて行ったら「ほら、さっき死んだハムレットが、あそこでワイン飲んで暴れてる。あれがハムレットなんだよ」って。なんでもそうなんだ。あの演技で観た彼よりも、今いるハムレットの方が面白いって。われわれも公演が終わると居酒屋に行くよね、あれもそうなのかもしれない。まだまだ劇は続いてるんだってね。まだ劇は終わってない、いや終わらない。引き分けのない野球の延長戦みたいなものなんだってね。今の観客はそういうことないもの。「いや~面白かったですよ」で1時間もたつと「明日どこに行く?」「あっ終電だ!」とかそういう話なんだよ。話がすぐに現実に戻ってしまうんだな。

  話は変わるけど、例えばね、いっそのこと学校なんかには行かないで、もういきなり好きなことをやるって方がいいんじゃないのかな。どうせ学校に行ったって、結果希望就職もない訳だし。面白い話、今まで引きこもりだった人たちがどんどん世に出てくる時代って考えたことある?今に入れ替わると思うのよ。つまり今、大学なんかに行ってる学生がどんどん引きこもってるって話もあるじゃない。するとね、今迄で引きこもっていた連中がダーッと表に出てくるってことあると思うんだ。今日までの引きこもり万歳ですよ。だって、長―い時期をまるで繭のように静かーにしてた彼らが「今だ!」って今までの歴史を噂しながら続々と現れ出て、今まで蓄えた知識、知恵、技術、発想アイデア力で社会をひっくり返す。ありうるよね。おそらくパソコンなんかの操作はプロ顔負けの技術を持ってると思うんだ。アナログの時代から繭化した彼らはアナログを栄養にしてきたデジタル人間として再生蘇生する。面白くないですか?さらに彼らがデジタル化されていたとしても、彼らが引きこもった以前の、つまり昔ながらの義理人情、優しさを兼ね備えてるとしたら?つまり、アナログの入る領域が完全に断たれたって訳じゃないから、我々ともやっていける可能性はあると思うんだ。新しい時代の演劇形態作りをね。

    またまた余談になるけど、今引きこもろうとしてる人はせめて一度どっかに行って欲しいと思うね。たとえば極端に寒い国とか極端に暑い国とか。アフリカだな。アフリカには是非行って欲しいな。裸で生活するのよ。日本には徴兵制度がないからその代わりに二年間アフリカで裸で生活して来なと。野生児。そんな生活から日本に帰ってくるってのはどう?寺山演劇の俳優たちにも、そんな野性的な面もあるんだ。退場すると舞台に風景を残して行くっていうか、野生児が残す強い眼差し的な印象っていうか。 でも、今の日本じゃ子供も作れないでしょう、作りたくもないでしょう。困った国になっちゃったよね。また余談になるが、寺山さんも演劇をタナトスとエロスとで捉えるとすれば、エロスの方が大きくて、タナトスはその後を支えるなんてこと言ってたような気がする。演劇には死者を呼び起こすという作用も必要だと。シャーマニズム的なもの。シャーマニズムの喪失。土着性、減反などによる祝祭性の喪失。もう嫌でしょう?泥ぬったりするの。泥を塗って自己内部に憑依現象を起す。忘我状態。魂の離脱。寺山さんは仮面と一緒だとも言ってた。われわれの白塗りも、そんなシャーマニズム性であると思うんだ。いや、そのものと言ってもいいかもね。

  では再び前衛の話に戻りますが、前衛には、テロとか、密教とか、KKK団じゃないけど神秘学や悪魔学といった隠匿性の面もある。寺山さんも本物のヤクザを使った『花札伝綺』という作品を上演している。日本の文化をも支えてきたヤクザも演劇には必要だったってことじゃないかな。日本の社会がこうなってしまったのは、ヤクザを排除したマル暴のせいだと言ってもいいと思う。きれいなことばかりをやろうとしたんですよ。そのきれいなことばかりが目的になってしまったから、汚いことができなくなった。さっき言った『鉄腕アトム』の不完全の話だよね。社会イズムに振り回されながらも振り落ちたくないから必死に仕事を探している。仕事は色々あるんだろうけど、プライドが高くてなかなか仕事も決まらない、決められない。それが病みを作り引きこもり始める。だったらもう海外にでも行くしかないでしょう。大学卒業したら全員海外に行く。日本にいなくなればいいんだ。あるいは、引きこもり人種になって繭化し次世代の転換期を待つかだね。

海外っていうか、アフリカ?

  アフリカがいいね。土着と文明。ただ今の日本のこういった状態が一時的な現象だとすれば、我々も耐えながら演劇を続けることは可能かもしれないけどね。どうも一時的ではないような気もするんだ。日本、日本人はなんかこのまま行っちゃって潰れてしまうんじゃないかってね。危機感を感じる。(傍にいるIT関係の友人を指して)彼らだって部屋があればコンピュータだけでどこでも発信できるから、仕事はできるんですよ。でもそれができてない人たちですよ、電車乗って行かなきゃいけない人たち。やがて鉄工所なんかもなくなるだろうし、工芸品、民芸品もなくなるだろうし、観光地にも行かなくなるんだろうな。

  昔ね、僕が短編映画で撮ろうとしたシナリオがあってね、「田植えに行ってる人たちにご飯届けてね」っておふくろに言われて持って行ったら、田植えしてる人たちの手が黒くて、毛がモジャモジャと生えてる、頬被りしてるから顔が分からない。そーっと覗くと青い目をしている。驚いてその場を逃げ去り、角の煙草屋のおばさんにそのことを言おうと駆け込んで顔を見たら、おばさんも外国人。「ワー!」とあちこちに行くんだが、みーんな外国人。町はそのままなんだけど、町の人たちはみんな外国人だったという。これから移民も受け入れるようになるって話。いよいよ日本は戻れることが出来なくなっちゃうんじゃないかな。

  芝居と演劇の区別、それからアングラと前衛ってのはどう違うか?日本の多くの劇は芸能性が強い芝居、やはり演劇は変革性、実験性を含めた都会のみでの上演とわたしは思うね。都会病という、特に都会における精神的病いには演劇は特効薬とまでは言わずとも鎮痛剤的ではあるような。アングラってのは日本人の勝手な解釈で、実はアンダーグラウンドシアターというのはフランス発で、スポンサーがついたグループが喫茶店とかの小さいところでやるのがアンダーグラウンドシアターでね、前衛ってのはアヴァンギャルド。美術表現の方に多かった変革性だよね。演劇ではドイツ表現主義に前衛的演劇があったと思うが。写真を数点見ただけだが、ロボットなんかが登場してたり、照明や舞台装置が奇抜だったりとかね。とにかく日本の週刊誌がアンダーグラウンドシアターも前衛も一緒くたにしてアングラとしたことは間違いない。

  また余談かな。寺山さんがやった機械と人間、肉体と機械とした『奴婢訓』。寺山さんが知っていたかどうかは知らないが、ある本に「演劇の神様に機械の神様というものがいる」。古代ギリシャの演劇の演出技法の一つって言ってたかな。機械から出てくる神、「マキナ」とかいう機械の神様。これを後で知った時はなぜか気持ちが良かったな。いいじゃないですか、嘘でも。嘘と空想とうろ覚え、真実性の薄い知識の混合性が醸し出す身勝手なほどの定義が演劇には必要だと思うと、ますます演劇が面白くなる。こんな思いが劇場で観客にも伝わるといいんだが。今の人たちはパソコンで調べればすぐに答えが見つかるわけだよね。考える時間ってものがないし、自分からも与えないから、結果しか見ない。知っちゃうより、知ろうとする過程プロセスが大事なんだよね。遠回りはしたとしても。


~『幻想音楽劇 リア王~月と影の遠近法~』©伊藤青蛙

そういう意味で社会が先に答えを用意してしまったということですね。

  先に答えを出してしまうから思考がなくなった。「偉大な質問になりたい」と寺山さんが言ってるように、やっぱり質問なんだよ。質問ってのは、あれこれと探る空想ごっこでもあるわけだよね。あれこれと漠然としてるもの、その漠然とした中に仮説でもいい定義を作っていくというね。ピカソの話だったと思うけど、絵を描いていきますよね。で、ふと、というか、突如というか、無花果を書きますよね、その絵を見て誰かが質問した「何故無花果なんですか?」って。するとピカソはこう言ったらしい「分からない。でも、ここに無花果が必要なことだけは確かなんだ」と。「分からない」と「確か」という言葉の面白さっていうのが、さっき言った漠然としている世界が具体的に表れているなんだよね。宇宙の中でしか起き得ないことを必然的に捉えていく。それが正しいかと言われれば、少なくとも自分は正しいと言ってしまうんだよ。自分はね。偶然でも嘘でもなんでもいいから捉えてみようという気持ちは常にないといけない。また、自分の好きな言葉は原稿用紙1枚あればいい。その原稿用紙一枚の言葉から広げていくドラマとか表現みたいなものがあるだけでね。その一枚の言葉はこんなにもの多くの意味を持っているんだってことを考えた方がいいと思うな。僕は1冊の本を読むなんて出来ない、すぐに寝てしまう。まさに子守唄だよ。余計なことが多すぎるんだ。言葉はなるべく少なめに、俳句や短歌や歌留多や都都逸のように。多くの想像性を残して。僕には真面目な会話はいらない。ジャレふざけあってる中で相手を見抜いたり、相手が言ったことがすごく大事なことかもということを認識するってのが僕の会話だと思う。

  最後の余談。これはアントナン・アルトーが言った言葉だと思うが「演劇の精神は南米にあり、演劇の肉体はバリ島にある」。寺山さんは精神じゃなく「思考は北方に、肉体は南方に」と言ったと思う。そういえばカナダあたりの冷たい病室で『ターザン』を書いたバローズも、『アフリカの印象』を書いたルーセルも一度もアフリカには行ったことがないとか。つまり《空想でどこにでも行ける》そんな気持ちも込めてだね「フローム アヴァンギャルド ウイズ イマジネイション」と今日のところは。 (2014年6月)


 

次回公演
演劇実験室◎万有引力
~説教節の主題による見世物オペラ~
『身毒丸』
2015年1月29日(木)~2月1日(日)
@世田谷パブリックシアター 演出・音楽:J・A・シーザー
http://www.banyu-inryoku.net/




[artissue FREEPAPER]

artissue No.003
Published:2014/09
2014年9月発行 第3号
演出家インタビュー
INTERVIEW1 流山児祥 流山児★事務所
INTERVIEW2 J・A・シーザー 実験演劇室◎万有引力


 
「戦後アメリカ前衛演劇の軌跡」 戸谷陽子
「Cui?公演から見えてくる母性の欠如」 水牛健太郎
「時事問題の取り扱い方」 藤原央登

 
「前衛芸術が更新するもの」 櫻井拓見 / chon-muop
「裸の理論武装」 カワムラアツノリ / 初期型