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1.交錯する批評 OM-2『9/NINE』
今、「舞台批評」が地盤沈下している。紙媒体だけでなくネットも含め「批評」の場が次々と失われていく。舞台芸術の評価はツイッターやコリッチを舞台とした「感想」に委ねられているかのよう。今回の特集では「OM-2」の最新作『9/NINE』(2016年9月上演)についての執筆を4名の書き手にお願いした。

OM-2『9/NINE』
2016年9月15日(木)~17日(土)@日暮里SUNNY HALL



「沈黙と騒音」
北里義之(音楽・舞踊批評家)



©田中舘裕介

  沈黙と騒音はよく似ている。よく似ていることを、誰もが経験的に知っている。高速回転する独楽が静止して見えるように、雑踏のただなかに孤独があるように、真逆のものが通じあう。さまざまな形で打撃音がリレーされていくOM-2の作品『9/NINE』の全体を貫くもの、パフォーマンスの基層をなしているのも、この沈黙と通いあう騒音的なもの、喧騒的なものである。4台の事務机を素手で激しく打ち鳴らす音をマイクで拡声し、天から打ちおろされるハンマーのように運命的に響かせるパフォーマンス、「父」を担当する佐々木敦が、皮膚が赤くなるほどみずからを連打するボディ・パーカッション、ゲストダンサー3人による神業的な高速タップダンスなど、OM-2メンバーの打撃パフォーマンスは、たしかに訓練されたポリリズム演奏としておこなわれるものだが、不思議なことにそれは音楽として響かない。にもかかわらず、そこには音楽的な必然性も存在している。というのも、ジャンルや趣味の細分化とともに、多様性や複雑さを増して拡散していった現代の音楽を、もう一度、想像力によって原初的なものにまで遡行させるべく、あるいは、自身の身体を音楽的に回復するべくドラミングと声だけに演奏を削ぎ落していくような荒治療を、ミュージシャンたちもしばしば試みることがあるからだ。原初的なサウンドによってコミュニケーションの原点に回帰すること。そのようにして身体の生命力を回復すること。おそらく似たような過程をたどって打楽にたどりついたのだろうOM-2は、それでも音楽をしているわけではない。
  日暮里サニーホールに足を運んだ観客は、家族たちの「自宅」に見立てられたホール裏のエントランススペースに導き入れられ、そこで「父」と「家族たち」を紹介する場面とともに、素手で事務机を連打するリズムの洗礼を浴びる。そのあとで「とある老人施設、或いは精神病院」に見立てられたホール内に移行、そこではじまるのは一夜の「お楽しみ恒例発表会」である。『セールスマンの死』が下敷きになっているという『9/NINE』は、悲劇的な結末に物語の残滓を感じとることができるが、身体の動きと打撃音、ヴォイスを使った各場面にはセリフがなく、佐々木の「父」に加え、「患者たち」や「施設職員」を “行為する” 俳優たちが、入れかわり立ちかわり演奏するリズムの変容によって構成されている。パフォーマンスの流れは、生身の身体を使った人体パーカッションから、眼の覚めるようなタップダンスの場面をはさみ、最後に打楽器を使った大団円の演奏へと向かっていく。
  ここでおこなわれていることは、即物的な音を扱う演奏が、次第に音楽になっていくような経過ではなく、それとは真逆のこと、すなわち音楽という制度的なものを事務机の連打によって板金していく「反音楽」的な行為である。端的にいうなら、事務机が楽器のようにたたかれるのではなく、楽器が事務机のようにたたかれるのだ。ここには、OM-2が実践してきた演劇から言葉をなくし、演技をなくし、物語をなくしていくという、「なにもかもなくしてみる」行為が、からっぽになった劇的空間を、紋切り型の音楽という別の制度、別の規律化された身体で満たしてしまうことのないよう、周到な戦略が組みこまれているだろう。8人編成でたたかれる打楽器群は、ひとつの楽器として連結されており、通常の即興演奏で起こること──ひとりの演奏家がその内面を表現/表出するような道具として機能しないように工夫されている。こうしてみると、「沈黙と騒音はよく似ている」というときの「沈黙」には、太田省吾が掲げた沈黙劇の理念も深く埋めこまれているように思われる。『セールスマンの死』は、収容所の、精神病院の、そして劇場の人間学に読み替えられ、行為の集団性を突出させるOM-2の演劇は、そうすることでしか解決できない問いに相対したパフォーマーが、新しい身体を獲得していく瞬間を劇的なるものとして提示するといえるだろう。(観劇日:9月15日)

次回公演
■OM-2
『ハムレットマシーン』

日程:2018年3月上演予定
会場:日暮里SUNNY HALL

詳細



[artissue FREEPAPER]

artissue No.008
Published:2017/02
2017年2月発行 第8号
  

  1.交錯する批評 OM-2『9/NINE』
      「沈黙と騒音」   北里義之
      「前衛劇であること/ないこと」   西堂行人
      「刻み続けるリズムによせて―OM-2『9/NINE』評」   宮川麻理子
      「我もまた父親殺しの共犯者―OM-2の『9/NINE』を観て」三宅昭良
  2.世界の演劇vol.2 台灣演劇の今
      「日本を越えたテント芝居」   林于竝(台灣)



 

「維新派の旅は「死者」に始まり、「聖女」で終わった」九鬼葉子
「転がる若人に苔は生えない」鈴木励滋
「弓と音楽」塚本知佳


 
「ここで生きていたい」波田野淳紘 / 820製作所
「演劇の「豊かさ」について」 萩原雄太 / 劇団「かもめマシーン」