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観客参加型演劇
 

演劇における観客と演者の関係性を飛び越え、観客も劇空間の一部として成立させる観客参加型の演劇は今も昔も少なからずあった。しかし、その評価は正当に行われたのだろうか?形式を省みず、閉塞を続ける現代演劇に風穴を空けるヒントがそこにあるのかもしれない。今回日本と海外(イギリス)の参加型演劇をピックアップし、演劇に更なる自由をもたらす可能性を探る。




「リアル脱出ゲームと観客参加型演劇」
~OM-2, PortB, 冨士山アネット~

大塚正美

大塚正美:編集者。1969年生まれ。サブカルおじさん。音楽、ダンス、無線の専門誌編集部を経て、書籍編集者に。『人狼村からの脱出』などリアル脱出ゲーム関連の書籍を数多く手がける。今春、謎専門出版社SCRAP出版の立ち上げに参加。『リアル脱出ゲーム presents 究極の謎本』発売中。 SCRAP出版




リアル脱出ゲーム~あるドームからの脱出(SCRAP提供)

  2010年9月、東京郊外の遊園地よみうりランド。その閉園後に1,000人の群衆が集っていた。『夜の遊園地からの脱出』と題された、園内全体を貸し切った『リアル脱出ゲーム』のために。僕もその中の1人で、これが初参加だった。園内中央のステージに誘導された僕たち参加者は、登場した司会者に運命を突きつけられる。「あなたはこの遊園地に閉じ込められた。制限時間内に謎を解き明かさなければ、あなたはここから脱出できない」──。

  司会者が放つ「スタート」の声と同時に、僕たちは放り出される。手渡された問題用紙と、会場の各所に掲示されたパネルのヒントを元に、この場所から「脱出」するために広大な敷地を巡り、謎を解く。時折、ゲートに立つツナギ姿のスタッフや、カードを配る奇妙なピエロなどがいるものの、参加者は何かを見て回るのが目的ではない。 僕が参加した日は台風が近づき、激しく雨も降っていたが、切迫したシチュエーションと、夜の貸し切り遊園地という環境に興奮し、他の参加者同様、傘もほっぽり出して一心不乱に動き回っていた。濡れそぼりながら、かつてこれによく似た体験をしたことを思い出した。はるか昔に好きでよく行っていた「観客参加型演劇」だ。

  現在、肉体を強調したリズムパフォーマンスで高い評価を得る劇団OM-2が、1980年代末~90年代初頭に「黄色舞伎團2」という名で、観客を檻に閉じ込めたり、役者が観客を長時間凝視するといったハードコアな観客参加型演劇を行っていたことは、今どのぐらい知られているのだろうか? 当時は集客も多く人気の劇団だったはずだが、今ネットで「黄色舞伎團2」と検索窓に入力しても、わずかな情報にしか辿り着けない。そこで、何とかあの体験を記録しておかなければという勝手な使命感で、僕は個人ブログにそのことを綴っていた。それがきっかけで、演劇の専門家ではない僕に、「観客参加型演劇」に関する原稿依頼があり、図々しくもこの記事を書いているという次第である。 ここでは、その個人ブログに書いた黄色舞伎團2を中心に、僕が体験した観客参加型演劇について紹介していきたい。

            
             現在のOM-2©Hideo Tanaka



劇場と街全体を使った迷路劇場
  僕が最初に黄色舞伎團2を体験したのは、1988年9〜10月に開催された『架空の花』という演目。今は無き新宿三丁目の劇場、タイニイアリス全体を迷路にしてしまった演劇だ。
  列に並んだ観客は首から番号札をかけられ、1人ずつ会場に放り込まれる。入ってみると、そこは暗闇の迷路。大音量のメタルパーカッションに、女性の叫び声や、男性の独り言が交じり合う。衝立で仕切られた狭い通路をうろつきながら、各所にスポットが当たり、人が浮かんでは消えていくのを見る。ただ、それが役者なのか観客なのか分からない。   端から端まで迷路を辿ってみると、小さな部屋があって占いをしていたり、飲み物を出すバーがあった。一時期文化祭で流行った「立体迷路」や「お化け屋敷」をもっともっと猥雑にした雰囲気だ。ようやく迷路に慣れて楽しくなってきたころ、黒子に肩を叩かれ、出口へと誘導される。外へ出ると、1枚の紙を渡された。そこには文章で「第二会場」への道順が書かれている。

  その紙を片手に、文章で指示された通りに街を歩く。最後に記された人物に合言葉を言えと書いてあるのでそれに従うと、さらなる紙を渡された。「第三会場御案内」という、さっきと同じような紙だ。 不思議に思いながら、道順に沿って進もうとしたが、何かがおかしい。「髭をはやした人に出会ったら左へ」「ストライプのシャツを着た人に出会ったら右へ」などと、あいまいな指示しかないのだ。 途方に暮れていると、近くに同じように、道順の紙を持ってうろうろしている人たちがいたので、一緒に第三会場を探した。が、見つからない。会場に戻りスタッフに聞いても、はぐらかされるばかり。1時間ほど経ったあと、全員探すのを諦めることで合意した。   後日、雑誌『演劇ぶっく』のレビューで、第三会場が本当になかったことを知って僕は安心した。劇場内だけでなく、街全体を迷路にしてしまうなんて! それまで観てきた演劇とは全く異なるこの作品に衝撃を受け、僕は黄色舞伎團2の虜になった。



観客が他の観客を観察する演劇
  『架空の花』の半年後、1990年に開催されたのが『B-DAMAGE』。僕は、さらなる驚きを求めて、田端の倉庫街にあった黄色舞伎團2の本拠地、die pratzeに赴いた。 僕たち参加者は数人ずつのグループで入場する。中は『架空の花』のような暗く狭い迷路。そこには、いろんな種類の衣装に身を包んだ役者がいて、そのパフォーマンスを見ながらスタッフの誘導によって歩く。
  しばらく進むと、狭い小さな部屋に着いた。と、おもむろに壁が上昇し、客席が四方に現れる。コロシアム型の客席の中心に置かれた箱の中に自分たちがいたのだと、ここで初めて気付く。客席には、既に先客がいて、僕たちは客席に座るよう則される。そして皆、次にやってくるグループが箱から出て戸惑う姿を、四方の客席から鑑賞するわけだ。何という仕掛け!
  客入れが終わると、コロシアムの上方から次々に役者が登場し、しばしのパフォーマンス。その後役者は消え、以降、観客は女性のアナウンスの指示に従って行動する。2つの座席番号を告げ、観客に座席交換を要求したり、客に上半身の服を脱ぐように指示して、記念撮影をしたり。さらには、カレーライスの皿を持った役者がやって来て、1人の客に皿を手渡したり。これら一連の行為を、観客はじっと見守る。

       黄色舞伎團2『B-DAMAGE』


  僕は他の客がいじられているのを楽しみながら、いつ自分が指名されるかと怖がっていた。この空間では、観るのも観られるのも観客だ。   しばらく客いじりが続くと、突如ヒーリング音楽が流れ、照明が落ちていく。そして、今までよりもゆっくりとしたアナウンスで、目をつぶり、子供のころを回想せよ、母親の顔を思い出せなどと、会場全体への指示が出る。当時流行していた自己啓発セミナーのように。
  回想タイムがしばらく続いた後、指示に従って目を開けると、僕を見つめている女優が目の前にいた。これが黄色舞伎團2の特徴だった「視線のシーン」。僕も彼女を見つめ返した。周りでも大勢の役者が観客と目を合わせている。数十分経つと、妙な感動を覚え始める。 ぼんやりとしていると突然、彼女はおもむろに僕にキスをしてきた。驚いたが、僕はそれまで長い時間視線を合わせてきた彼女のことが愛おしく感じ、その時間を過ごした。そのせいか、どうやって舞台が終わったのか、全く覚えていない……。ただ、「観客が観客を見る」「役者と一対一で見つめ合う」この異常な体験に興奮していたと思う。



観客が想像するだけの架空公演
  黄色舞伎團2でもう1つ忘れられないのは、同じく1990年開催の『ゴドーを待ちつかれて』という公演。
  郵送された案内ハガキを見て、すぐに予約するために電話をかけたのだが、既に完売。当日のキャンセル待ちは受け付けるというので、どうしても観たかった僕は公演初日に会場のdie pratzeに足を運んだ。しかしキャンセルはなく、帰される。しつこく次の日も行ってみたが、キャンセルは発生しない。僕はもうこの公演を観ることをあきらめた。 ほどなくして、雑誌『演劇ぶっく』にて、『ゴドーを待ちつかれて』のレビュー記事を見かけた。そこにはこんなことが書いてあった。
  「会場に出向くと観客たちは目隠しをされバスに乗せられる。途中、記念撮影をされ、錠剤を飲まされる。そして見知らぬ倉庫に降ろされ、放し飼いにされた鳥の中に置かれノイズを聴かされたり、パフォーマンスやビデオを観せられる」
  これは体験したかった……と相当悔やんだ。

  それから20年後の2010年。主宰の真壁茂夫さんの著書『「核」からの視点』が出版された。読むと、件の『ゴドーを待ちつかれて』についての記述があった。そこで僕は目玉が飛び出る。   「架空の公演『ゴドーを待ちつかれて』……実際の公演は行わずに、噂だけが広がるという情報を操ろうと考えたもの。雑誌などの編集者や批評家なども参加し、年間ベスト10などに選出されるが、誰も見ていない。実際には公演を行っていないことを参加者以外、誰も知らない」   何と、『ゴドーを待ちつかれて』は「架空の公演」だったのだ! 僕は20年越しで騙された。ただ、これだけ時間が経つと、悔しいというより「お見事でした」という他ない。この公演は、「ネットがなかった時代だからこそ成立した観客参加型演劇」ということになるだろうか。


観客参加型の醍醐味は自分だけの物語が作れること
  これら黄色舞伎團2を体験して以降、同じように観客参加型の演劇はないかと探し、実際に行ってみたりしたが、強く心に残るものはなかった。野外劇も観る/観られる関係を飛び越えるものではない。いつしか僕は20年以上、演劇鑑賞からほとんど離れてしまっていた。 しかし、2010年以降、冒頭に書いた『夜の遊園地からの脱出』をきっかけに、『リアル脱出ゲーム』にはどんどんのめり込んでいった。スタジアムや遊園地といった広い会場で大人数で行うものから、ライブハウスで5~6人ごとのチームで争うもの、マンションの一室で10人1チームで行う小規模なものまで、かなりの数の公演に参加した。演目によっては、目隠しをされて誘導されたり、役割を与えられ台詞を言うような要素もあり、参加欲を十分に満たしてくれる。

  『リアル脱出ゲーム』の公式サイトには、こう書かれている。 「見知らぬ人とともに閉じ込められるという限定された状況でこそ、人は自由に熱狂できる。なぜならその場所にはきちんと自分で切り開くべき物語があるからだ」 これは『リアル脱出ゲーム』の魅力であると同時に、観客参加型演劇の醍醐味でもあると思う。いずれも各公演ごとに限定されたルールがあり、参加者はそれに従って動くことで、「自分だけの物語」を作ることができる。役者ではなく、参加者が主人公になれるのだ。 この『リアル脱出ゲーム』を体験して以降、同好の志と知り合いになり、近年も新たな形の観客参加型演劇やパフォーマンスが多く行われていることを知った。例えば、2010年のフェスティバル/トーキョーで行われた『パブリック・ドメイン』。これは、ヘッドフォンから流れるプライベートな質問に応じて動くことで、参加者による群集劇が形作られていくパフォーマンス。同様に、2011年の横浜トリエンナーレで行われた『サトルモブ』も、参加者がヘッドフォンから流れる指示に従って行動し、他の参加者とともに物語を作っていく演目だった。

  スタッフである視覚障害者のアテンドによって、真っ暗闇に連れて行かれる『ダイアローグ・イン・ザ・ダーク』(2009年〜)は有名かもしれない。視覚が制限されると他の感覚が敏感になり、今までになかった風景を感じ取ることができる。また、暗闇で無言でいると存在が消えてしまうので、他の参加者と積極的にコミュニケーションせざるを得ない。これは新鮮で、単純に楽しい体験だった。 こういった近年行われた参加型演劇の中でも、個人的に特に気に入ったものを2つだけ紹介したい。



東京全体を巡るゲーム要素の濃い演劇
  1つ目は、Port Bの2010年フェスティバル/トーキョー出展作品『完全避難マニュアル 東京版』。最初に参加者がWebサイトで簡単な心理テストに答えると、自分が行くべき「避難所」と呼ばれる場所の地図が提示される。これが山手線の29駅すべての周辺にある。どんな場所なのか事前には示されていない。実際に自分の足を使って行ってみて初めて、「避難所」の正体が分かるという観客参加型演劇だ。 僕は29個所全部は回れなかったが、いくつかの「避難所」には行くことができた。囲碁サロン、ブックカフェ、デパートの屋上など。これらに実際に行き、そこが「避難所」にされている理由を考えるわけだ。


  Port B『完全避難マニュアル 東京版』Webサイトと避難リスト

  回った中で思い出深いのは、目黒の避難所。Web上の地図には、避難所への行き方とともに、こんな記述があった。
  「新宿への「トンネル」が通じています。一日先着5名まで。黒いカバーのついた本が本棚に並んでいます。(中略)一冊を手に取り、店を出る際レジの店員さんに避難マークをお見せください」
  目黒駅から地図通りに道を辿ってみると、「避難所」は普通のコンビニだった。その雑誌コーナーに、本当に黒いカバーでくるまれた本がある。1冊をもらい外に出てカバーを開いてみたら、中身は村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』だった。ページが折られた箇所を読むと、主人公が新宿に西口にたたずむ様子が描かれている。また、新宿西口の「新宿の目」から都庁の展望台へのマップも同封されている。要するに都庁の展望台が、目黒のコンビニから通じる次なる「避難所」だというのだ。小説を読みつつ、僕はわくわくしながら新宿に向かった。現実世界を舞台に物語が展開されるゲームをプレイしている感覚だった。

  ちなみに同じPort Bでは、地図とラジオを手に指定されたスポットを巡り、その場所でしか聞けない話に耳を傾ける『光のない』(2012年)や、その拡大版『東京ヘテロトピア』(2013年)も体験した。いずれも、現実世界にもう1つの地図が重ねられたような、リアルRPGとも言える不思議な感覚を味わうことができた。



観客のみで作るダンス公演
  もう1つは、今年横浜のげシャーレで行われた冨士山アネットによる『DANCE HOLE』。「出演者0名・参加者各回限定10名・制限時間60分」という魅惑的なキャッチコピーに惹かれ参加した。
  受付を終えると、参加者は5人ずつ2つのグループに分けられ、劇場の奥にある鏡貼りの控室に案内される。しばらくアナウンスによって参加者への問いかけが行われた後、会場入口に。そして参加者同士が手をつなぎ、真っ暗闇の中へ進んでいく。再びアナウンス。
  「みなさんは出演者です。これからみなさんでダンス公演を行ってもらいます。そのためのリハーサルをしましょう」
  暗闇の中、もう片方のグループを含め、参加者10人全員で大きな輪になるよう指示が出される。ダンス公演の出演者同士、本番に向けて結束を固めよということだろう。
  明かりがつくと、そこは何もない、だだっ広い空間。ここで参加者は、アナウンスに従って、ダンスにまつわるプログラムを次々にこなす。中身はコミュニケーションゲームやワークショップのようなものだ。個々の参加者のキャラクターが分かるようなプログラムでは緊張もほぐれ、自然に笑みもこぼれてしまう。途中、「誰かとペアを組んでください」と指示が出たときには、迷わず一緒に行った同性の友人ではなく、初対面の女性を選んだ。結果的にそれは正解だった。

  圧巻だったのは、各々が別々の指示に従って動くプログラム。全員の動きがピタリとハマり、見事なダンスシーンになっていた。あの美しい光景を、僕は一生忘れることはないだろう。
  僕自身はダンスのことはよく分からないが、60分間、興奮しっぱなしだった。参加者だけでダンス公演を作るという限定された状況で僕は十分に「自分だけの物語」を作ることができた。これまでの観客参加型演劇のおいしい部分を詰め込んだような、贅沢な公演だった。


冨士山アネット『DANCE HOLL』©Kazuya Kato

  ちなみに後日、冨士山アネット主宰の長谷川寧さんのインタビューを読んだところ、『DANCE HOLE』は『リアル脱出ゲーム』にヒントを得て制作された作品だという。今後はこういった、エンターテイメントの手法を取り入れた参加型演劇も増えてくるのかもしれない。

  『リアル脱出ゲーム』や『ダイアローグ・イン・ザ・ダーク』が一般化されてきたことによって、「自分だけの物語を作りたい」という欲張りな観客は増えてきていると思う。今後、多くの観客参加型演劇が生まれ、さらなる驚きをもたらせてくれることを期待したい。楽しみにしています。



次回公演
■OM-2
『9/NINE』

@日暮里SUNNY HALL
日程:2016年9月15日(木)~ 17日(土)

詳細

■冨士山アネット
『Attack On Dance WorldTour2016』

@KAAT神奈川芸術劇場大スタジオ
日程:2016年10月21日(金)〜23日(日)

冨士山アネット

■Port B
アーツ前橋 企画展「表現の森 協働としてのアート」

日程:2016年7月22日(金)~2016年9月25日(日)
詳細
『北投(Beitou)へテロトピア』
5th Taiwan International Video Art Exhibition2016 参加
日程:10月15日(土)~
場所:台北(台灣)


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[artissue FREEPAPER]

artissue No.007
Published:2016/08
2016年8月発行 第7号
観客参加型演劇

「リアル脱出ゲームと観客参加型演劇」(日本)  大塚正美
「イマーシブ・シアターの到来が意味するもの」(イギリス) 中山夏織



 

「スポーツ身体の登場しないスポーツ劇」 北里義之
「現代の前衛はどこにあるのか?〜「シアターゾウノハナ」からの考察
                     藤原ちから

「―ベケット『芝居』を上演する―」 梅原宏司


 
「前衛と私」 カゲヤマ気象台 / sons wo:主宰
「機能の総合体」 白井愛咲 / ダンサー・振付家