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カゲヤマ気象台 sons wo: 主宰  
「前衛と私」




  不安や、絶望や、焦りとか、恐怖に襲われたときに、有効なのはそれらに打ち克つことよりも、あきらめて、ただ呆然とすることであったりする。いずれ頭のほうは勝手に冷静になってくれる。戦い方というのは、なかなかわからない。こっちには経験があまりない。あきらめるのは万能だ。道はいずれ見えてくる。ぼうっとするのは、個人的にも好きだ。

  新しいものを作るであるとか、時代を切り開くであるとか、既存のものを打ち破るであるとか、作家に「戦う」ことを求めることというのは、確かに存在していると思う。戦っている人も、現実にいると思う。歴史上にもたくさんいたと思う。すごく尊敬する。でもそれというのは、自分にとっては最善の手ではないのかもしれない。もしかしたら、それよりもただ、歴史の中で呆然としていたほうが、作家としてのあり方はできるのかもしれない。  歴史はとても流れる。止めてしまうのはきっと簡単だ。少しのエネルギーを使えばいい。昔からの好きなCDを聞いて、ニュースは右から左に流して、テクノロジーに興味をもたないで、最初に影響を受けた演劇のぽさを再生産し続けていればいい。楽しいかもしれないけれど、楽しんでいたいわけじゃない。せっかく作家を名乗っているのだから、作家としてありたいと思う。

  漠然と時間と世界を眺めて、それを演劇としたい。今この世界では、窓の外に火星が明るいけれど、PCの中ではアルファが飯テロしているし、たいへん評判の悪い大統領が生まれるかもしれないし、アップルのサービスで合法的にジェイムスブレイクが聴ける(あとマックデマルコも)。友達が結婚している。情報も空間も混濁して、漠然としていると、自然に自分の中になにかの「ありよう」が現れてくる。それを垂れ流していたい。垂れ流すというのは、カッコつけないということだし、自分を天才だと思わないことだ。これは難しい。気を抜くとすぐにカッコつけてしまうし、自分を天才だと思ってしまう。自分は文章が下手だ。造形のセンスもない。だからその下手さ、センスのなさが見えにくいようにやろうと、すぐカッコつけてしまう。でもそれではあまりよろしくない。下手なことをそのままやり、間違ったことを訂正せず、矛盾をたくさん含み、論理的に破錠し、モテないやつを、やったほうがいい。そういえば、「私は言ったこと書いたことは間違っていても訂正しない」というようなことをブルトンだか誰かが言っていてすごく感動した記憶がある。

  こんな風に呆然とすることを信条にしてしまっている人間が、「前衛」などと名乗ることは、できないだろう(だって言葉の意味からすごく戦ってる)。もし仮に、自分のいる場所が前衛なのだとしたら、それはよくわからないうちに戦場に取り残されて他のことを考えている兵隊、ビリーピルグリムみたいな感じ、だろうか。





sons wo:
カゲヤマ気象台の演劇プロジェクト。人間の中で働いている言葉や意識、イメージの活動を追求し、それを演劇とする。あくまでも独りで現象と対峙できる、「開かれた自己内省のための場」としての演劇空間を提唱している。F/T13公募プログラム参加。2015年度よりセゾン文化財団ジュニア・フェロー。 http://sonswo.com/

次回公演
未定





[artissue FREEPAPER]

artissue No.007
Published:2016/08
2016年8月発行 第7号
観客参加型演劇

「リアル脱出ゲームと観客参加型演劇」(日本)  大塚正美
「イマーシブ・シアターの到来が意味するもの」(イギリス) 中山夏織



 

「スポーツ身体の登場しないスポーツ劇」 北里義之
「現代の前衛はどこにあるのか?〜「シアターゾウノハナ」からの考察
                     藤原ちから

「―ベケット『芝居』を上演する―」 梅原宏司


 
「前衛と私」 カゲヤマ気象台 / sons wo:主宰
「機能の総合体」 白井愛咲 / ダンサー・振付家