より良い世界を創る一員となるよう観客を鼓舞
藤原央登
(劇評家)  

世田谷パブリックシアター+エッチビイ『終わりのない』
2019年10月29日(火)~11月17日(日) 会場 世田谷パブリックシアター

 地球温暖化や紛争、他国を無視した大国の自国第一主義と独善主義によって、世界は混沌としている。この情勢が高進した先に待っているのは、地球の崩壊。現在とは、未来に地球が消滅するか否かの転換点である。このような現状認識の下、散見される懸念を解消して地球の未来を救うべく、一人ひとりがより良く生きよ。そう直截にエールを送る作品であった。地球を守るための努力や活動を促す極大のメッセージが、18歳の少年の生き方と交叉する貴種流離譚に落とし込まれている。未来を想像して現在を律して生きることが、結果的に世界を救うことにつながる。極大と極小が合致した、観る者の肺腑を衝く物語だ。
 本作は、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』が下敷きとなっている。トロイア戦争に勝利したオデュッセウスが、トロイアから故郷のイタケに戻るまで実に10年を要した。その漂流の間に経験した様々な試練を描く作品である。この長大な苦難の旅が、川端悠理(山田裕貴)が経験するタイムトラベルへと重ね合わされる。悠理はエッセイストでもあるプロダイバーの父・山鳥士郎(仲村トオル)、物理学者の母・川端楊(村岡希美)に加え、幼なじみの色川りさ(清水葉月)、戸田春喜(大窪人衛)と共に、湖畔のキャンプに訪れる。幼なじみたちが高校卒業後の針路をそれぞれに定める中、高校受験に失敗しフリースクールに通う悠理は、自分は何がしたいのかが分からなくなっている。その上、両親からは互いに仕事に打ち込むという理由で、突然に離婚を告げられる。
 ひとり取り残された気分に陥った悠理は、遊泳しに行った海で溺れてしまう。それが引き金となり、悠理は3つの時空を旅することになる。すなわち、中学校時代の同級生・能海杏(奈緒)も交えてキャンプに来ている別の2020年8月現在。環境汚染と戦争によって人類が絶滅した地球を脱して、リヒト(安井順平)、ゼン(盛隆二)、アン(奈緒)と共に新たな惑星を探索する3185年の宇宙船内。そしてイプノスという、地球によく似た惑星である。頭から濃紺の一枚布を被ったイプノス人たちのいるこの惑星は、未来のようでもあり古代の神話世界のようにも見える。円形の八百屋舞台と、円形のスクーンを背景にしつらえた簡素な舞台。床面に照らされた真っ赤な明かりが宇宙船内の異常を表現したり、スクリーンに水中を思わせる映像などが投影される。どこにでも変化する抽象空間に、目を惹く照明と映像が鮮やか。
 

©田中亜紀
 劇のはじまりも鮮烈だ。水中で息を吐くようなゴボゴボという音が流れた後、一気に明転。すると背中を丸めてゆっくりと手足を動かす悠理が、中空に浮かぶ。悠理は9歳の時にも一度、ダイビングで溺れた経験がある。中空でもがく悠理の姿は、9歳の頃か18歳の頃か、はたまた酸素のない宇宙空間に放り出された3185年のユーリか。悠理のタイムトラベルを集約しつつ予告する、強烈なイメージであった。
 悠理が時空を行き来する過程で浮かび上がる本作のキーワードは、無意識が引き起こす「ひらめき」と、量子力学の解釈のひとつである「多世界解釈」だ。この2つの要素は舞台が進むにしたがって「想像力」の謂いとなって結実する。そのことが、SF要素を加味した劇世界に説得力を与えている。その辺の筆致は、前川知大の得意とするところが発揮されている。
 人間は個人として存在していると同時に、人類が誕生してから今日に至るまでの記憶を有している。デジャヴ(既視感)は、この集団的無意識が不意に蘇った証であるといった旨のやりとりが劇中にある。そのことを敷衍すれば、現在を生きる自分の意志が、未来の誰かに影響を与えるかもしれない。連綿と続く人類の集団的無意識は、過去から受け継ぎ、そしてまだ見ぬ未来に生を受ける者に引き継いでいくものである。とするならば、未来の生が受け取る予定の記憶を、現在に生きる者たちが先取りして捉える必要があるのではないか。未来の人類に伝えたい記憶が失われないように、現代人がそれを自覚して生きるために。未来と過去は、現在を律するという意味で同義なのだ。そして過去・未来を問わず他者の無意識としての声を、自身の身体で受け止めて納得することこそ、ひらめきや直感、神の啓示と言ったりするのだろう。それは人間特有の現象である。だが本作ではこれら無意識の力を、AI(人工知能)のディープラーニング(深層学習)に見られる発展・進化、あるいは多数のコンピューターがサーバにつながれ統御されているシステムとパラレルなものとして説明される。人間とロボットの相似性を含み込みながら、人間の「発展」の余地や可能性を思わせて興味深い。
 

©田中亜紀
 3185年を生きる18歳のユーリは、3人の調査員と共に果てしのない旅を続ける中で、ある惑星に降り立つ。そこの調査をする際に、ユーリはヘルメットを外したためにウイルスを吸い込んで即死する。乗組員たちはユーリを蘇生させるべく、無傷で残ったユーリの脳から身体のバックアップデータを取り出して12体を復元した。その後、脳データを戻してユーリを無事に再生させた。しかしそのユーリの意識は、なぜか1000年前の悠理のものであった。彼らは同じ失敗を繰り返す度に、ユーリを宇宙空間に放出して(殺して)はやり直している。
 ユーリの身体に悠理の意識が入り込む不可思議が、アンドロイドのダン(浜田信也)とのやりとりを通して理由付けされる。ダンによれば宇宙船内は20のユニットに分かれおり、それぞれにダンと同様のアンドロイドが1体ずつ存在しているという。そして個別のアンドロイドたちはシステムによって統合され、ひとつの人格としても機能するのだという。3185年のユーリと2020年の悠理は、姿形が同じである。いわば20体のダンと同じく、12体のユーリは悠理のクローンである。それは複数のPCにアプリケーションをインストールするように、ひとつの意識をクローンに移すことに近い。そして意識を器としての身体に飛ばしインストールさせる力こそ、無意識の働きなのである。
 加えて他者との邂逅によって、無意識がひらめきへと昇華される。宇宙船から放り出されたユーリは宇宙空間で死んだと思いきや、彼はイプノスという星に飛ぶ。そこでエイ(森下創)という人物と出会う。31世紀の月で生まれた彼もまた、別の惑星を目指す船団の一員であった。船が故障しながらもエイは、もうひとつの宇宙である地球にそっくりなイプノスの星に漂着した。宇宙はひとつではなく多元に、無限に広がっている。生き残ったのはエイひとりであるため、そのことを誰にも伝えられなかった。そんな折、不意にユーリが現れた。エイはユーリに、21世紀の地球人に自分が体験したことを伝えて欲しいと託す。
 

©田中亜紀
 2つ目のキーワードである多世界解釈とは何か。劇中ではシュレディンガーの猫に通じるコインの例で解説される。1枚のコインを両手の内、どちらかの手に隠して相手に提示する。右手と左手、どちらの手にコインがあるかを予想して選択する前は、コインは両手に存在していると考える。そこから人はコインの在り処を予想して、どちらかの手を選択する。選択によって当然、コインがある場合とない場合のどちらかの結果が明らかになるだろう。コインが両方の手にある世界から、選択によってコインがある世界orコインがない世界のどちらかへと分岐するのだ。そのようにして人は、常に選択することで次々に分岐する世界を歩み続けている。その一方で、選ばれなかった世界も無数に存在するのである。後戻りして選択し直すことができないため、別の世界は決して知ることはできない。だから、世界はひとつのように感じる。しかし選ばれなかった世界は消滅することなく、平行世界として決して交わることなく存在している。つまり我々の目の前には、見えないまでも事前にあらゆる選択肢が提示されており、そこから意識的/無意識的に逐次選択することで、無限の選択肢の海をフローチャートのように歩んでいるのである。
 現在、未来の世界を垣間見るタイムトラベルは不可能だ。かつて流産させたきり会っていない杏とキャンプするもうひとつの現在のように、タイムパラドックスも経験することはできない。しかし、他者の声を聞くことをひらめきと多世界解釈に代えることで、多元的な世界を思考することはできる。人間に備わる無意識の力によって、意識は時空を超えてアクセスすることができるのだった。そっくり同じ姿の自分がいると想定して、過去や未来を見ようとする。それはまさに想像力のことにほかならない。そしてエイに言葉を託されたように、過去であれば死者の声、未来であれば未だ産まれていない人類の声を先取りして聞くこと。その声は遠い時空から自らに呼びかけられた、神の啓示かもしれない。そのような声を聞き留めることで、現在を客観的に見返すことになり、次なる行動をより良きものへと促すことにつながる。そう促すものこそ、連綿と続く人類の集団的無意識である。そしてそれはひらめきとして、自己を越えた力となるのだ。2つのキーワードを合致させて見えてくる本作の核はここに集約されている。
 悠理は時空を遍歴することで、物理学者である母親が関わる量子コンピューターの開発プロジェクトが、ダンが生まれるきっかけになっていたことを知る。そして環境問題に取り組むために政治家になるという父親の行動が、1000年後に訪れる人類の滅亡を食い止めることになるかもしれないと思い至る。だから悠理は、互いの仕事に傾注するために離婚すると話す両親の意向を受け入れ、応援する。そして悠理自身も、自分の道をしっかりと歩むことへの強い決意をする。より良い人生を送るべく自立する自分がいる世界を、悠理は選択するのである。最後に悠理は、他の登場人物たちから「ユーリ、ユーリ」と彼に寄り添うように呼び掛ける声を聞く。俳優たちはイプノス人をも兼ねる。したがってその呼びかけは現世の人たちの声であると同時に、個を越えた未来人からの無意識の声でもある。それを自分のものとして受け止め、より良い生の選択のために生かす。悠理の決意は我々の問題でもある。終わりのない人類の選択の積み重ねが、良い未来へとつながると信じて生きること。本作は観客をそのように鼓舞するのだ。
 イキウメの劇団員に加えて仲村トオルと村岡希美といった実力俳優たちが、自然体で苦悩する山田裕貴を全力で支える。ダンを演じた浜田信也が、悠理との出会いによって揺らぎが生じ、無感情で機械的な演技に人間味が差し込む。その微妙な変化の表現力が印象深かった。


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