信号待ちをしていると,おもしろくない指先が切れていた。
おもむろに酒を飲みすぎたのだろうか,ついでに腰の骨も折れた。
恭した気持ちで道を渡りながら,演劇だとか,昆虫について考えてみる。
前衛なんて大それた言葉を使うことなど有りはしないし,新しさを模することも最近など頭の端っこにもない。むしろ,私にとってのそれは,いにしえを稽えるための道具に違いないのだろうか。当劇団の演劇に具合があるのならば,「むきだしの剥がされた状態」を標榜しているのかもしれない。言い換えれば,「進行」といった大海原に漂う「退行」,或いは大嵐の中の100年後の浮標。付け加えるのならば,ずーっと先の私達ではない,有り様の存在価値を,幸福を,願っているのも事実だろう。
折しも,蠅が止まる。
白かった空間に昨日は行き先が気になって仕方なかった1匹の蠅が羽を休めたら,対比に依る世情を示すようで演劇を嫌いになる理由も蠅に問えば,不確かだがここにある。
いずれにせよ,私自身の演劇もおもしろささえないのが本音である。
生傷を負ってはいるが絆創膏を貼りかえるのは,もうやめたいものだ。
蠅もまた,蠅なのかもしれない。
ふらふらでいいから,「余有=文明の一端」に異調しないようにと,いつもどおりに安い酒に折れた希みを失くそう。ひと瞬きが,言葉にかわるまで待てばいい。
老人 とりあえず,日が暮れた。手酌でいいさ。
君よ,釣竿に吊るされた糸の先になにが視えるのかね。
(海に佇む亡き息子を想いだすように静かに眼を閉じる)
|
恒十絲
Koh-Toh-Shi
IDIOT SAVANT主宰。第三エロチカを経て2002年カンパニー結成。恒十絲の詩・テキストを基軸に旧来のカテゴリに捉われない固有の作品空間を展開。国際舞台芸術ミーティング,ベップアートマンス等に参加する一方,発表の場に廃映画館や寺院を選ぶ等,表現の舞台は劇場だけに留まらず,独自の演技論と演舞「祈汎誦(きはんしょう)」の発展を目指す。
次回公演
・ 現代劇作家シリーズ5
J-P・サルトル「出口なし」フェスティバル参加
2015年4月28日(火)&29日(水)@d-倉庫 |
|