前衛芸術家Eiko and Komaの舞踊芸術から、私的舞台鑑賞のすすめ。
 相良ゆみ (舞踏家)

 長期にわたり新作が出る度に、必ず足を運ぶ舞踊家は、あまり多くないのだが、観たいと思うと海外まで足を運んでいたダンスアーティストとして、Eiko and Komaが挙げられる。何故そんなに惹かれてきたのか、当時の私(1989年)には全く判らず、感動を伝える言葉すら上手く出てこない程であった。だが、彼らが制作した歳に自分も近付き、経験が増えていくにつれ、作品世界だけでなく、時代的背景を理解出来る視点をを持つようになると、彼らの作品をより深く感じとれる時がくる。そして、観た時点では理解も、言語化することも成し得なかった世界観と正面から向きあえるようになる。そのとき初めて、理解出来る作品というものがあるのではないだろうか。

1.キリンプラザ大阪『PASSAGE』(血と潮)
2.丹沢寄生木にて野外公演 1992年8月 『LAND』(大地) と『River』(川)
3.New .York World Trade Center 跡地にて 2001年『OFFERING』(供養)
4.Joice Theater 『Cambodian Story』(カンボジア物語)
5.『Body in Fukushima』(福島に行く)Eiko Otake  台湾雲雀芸術劇場にて


 

1.キリンプラザ大阪『血と潮』1989年 8月

 バブル後期にあたる1989年にオープンしたこの劇場では、大量のNew York Timesが重厚的な雰囲気のロビーデスク上に展示され、ニューヨークの路上を歩く人々を映したKomaによる映像が流ている。また舞台上には5cm程の水が張られ、8月の暑さを忘れるようなひんやりした空間が創り出されていた。
 この『血と潮』は音楽はなく、作品を通して二人は裸体。美術は赤い布と舞台のあちこちに落ちる水。シンプルでありながら、花札のような図案がゆっくり移りいくように進行し、水鏡を効果的に使用した、デュオの身体。人間が現在の生を獲得するまでに流された夥しい血を彷彿させるシーンがあり、静まった劇場空間の中で観客も観る事を通し、作品を創っているような使命感を持たざるを得ないような、緊張感のある時間であった。 生命的の根源を垣間見たような気分になる公演であった。


2.丹沢寄生木にて野外公演1992年8月『River』

  神奈川県丹沢の入口であり、観光客も通り過ぎるだけの過疎地域でありながら、この地に友人の内海信彦氏(画家)のアトリエがあり、何度か訪れるうちに、この川で公演をすることになったという。野外版『River』はアメリカ各地で公演されており、水質、深さ、流れの状況など充分な検討を重ねて実現されるという。照明に集まる大量の蚊が口の中に入ってきたり、刺されたり、流れが速く助けを求めたこともあると聞いていたのでハラハラしていたが、丹沢では水には透明感がありトラブルもなく進行していく。川上から流れてくるEikoの身体をKomaが流木で創ったオブジェで堰き止め、流れの中で美しいデュオのダンスが展開される。それは、流れてきた美しい死体に恋をするという昔話を連想させ、日没を計算し川上から順番に照明が点灯していく様は、農村や山岳部で暮らす人々の死生観を喚起させる。さらにアメリカのネイティブインディアンRobert Mirabalによるフルートの生演奏も自然の中に溶け込み、主旋律として観客の感情を動かし、物語を拡張させ、野外オペラとして成立させる作品となっていた。

 後に彼らはクロノスカルテットとの共演で『River』の劇場版を作り各地で上演した。
 
 

3.World Center跡地にて『Offering』2002年7月

 この作品は9.11の翌夏、Twin Towers の跡地に近いハドソン川の辺りで公演された。Eiko and Komaの踊りは日暮れと共にいつの間にか開始されていた。セットの上に盛られた土の山に蝋燭の明かりをがいくつも灯され、黄色いガーゼをまいたEikoがセットに乗り、Komaと上でデュオのシーンが展開される。周囲からは野次が飛び、煽り立てる声が湧き上がる。普段、劇場空間に守られ、チケット代金を払い観るということに慣れていると、公演中の暴言などは、あり得ないことではあるが、多様な価値観を持つ人々が交差する場所での無料の公演の場合、観客の温度差もあり個人の心への届き方も様々で ある。それを自然に受け止め流し、シーンが終わりに近づく頃は、先程の野次は静まりかえり、啜り泣きが聴こえている。すっかり落ちた日暮れの中で蝋燭が美しく揺らめき場が静かに変貌を遂げている。


4.Asia Society『Cambodian Stories』2008年1月

 2004年からEiko and Komaは何度かカンボジアに訪れ、カンボジアの美術学校の生徒達を演出し作品を創った。
 Eiko and Komaだけでなく、10代の若い男女10人が出演、世代も違い、異なる文化で生きてきた身体が共演しているだけで、作品に奥行きが出てくる。また、この作品は公演の最初にに自己紹介があり、ハケで水を背中に塗るという行為があり、この作品辺りから、Eiko and Komaの作品には、東洋思想的な観念が立ち現れ、木火土金水(五行思想)が舞台上に必ず存在してくるようになる。それは意図して風水のように配置しているのではなく、アジア人としてアメリカでで生活する上で、自然と身についたバランス感覚なのだろう。この作品では、かつて栄えた王国の誇りが垣間見えると同時に、人間が生き死んでいく中で、生命そのものや芸の技術が次世代へ継承されていく。
 作品の中で最期にカンボジアの若い画家たちが舞台上で描く巨大な絵画が劇場空間に立てられ終演となる。観客が歓喜で沸き立ったところで終演となる。
 

5.台湾雲雀芸術劇場『Body in Fukushima』Eiko Otake (solo) 2019年8月

 『Body in Fukushima』は2011年3月11日の東日本大震災の後、尾竹永子がアメリカの写真家William Johnstonと共に2014年から2019年の間に5回、被災地を訪れ写真を撮り、彼女自身が映画編集したものである。3時間近い映画の上映の後、ソロのパフォーマンスとアフタートークもあり、5時間に及ぶイベントであった。台湾という異国でこの大作を観ていると、Eikoの着物姿と、そして福島の地名がスライドとともに流れてきては消え、まるで源氏物語のように観えてくる。写真はどれもとても美しいのだが、流れてくる映像の中で核廃棄物や、山積みになったビニール袋、被災地の痕跡などが生々しくもあり、震災時の状況を訴えてくる。そして、日本には核の問題が山積みになっていることを、海外在住の芸術家として、強く問題提起している。観えているのに観えないことにしてしまうこと。あるにも関わらず無いものとしてしまう、脳内の識別に対して警告している作品。私は『Body in Fukushima』をそう捉えている。

 このように、彼らの作品、活動を追っていると、芸術の可能性や使命などが、 伝わり、それは舞台芸術を映像やネットで観るのとは全く違う感覚を与えてくれる。特に身体は弱いもので、川に入れば危険もあり、福島では放射能を浴びた。大切なことを伝えたいという熱量ある作品創りは、まさしく1960年代の前衛芸術家の創作姿勢であり、Eiko and Komaはそれをやり続けている。アメリカは政権も変わり、今後どうなっていくか全く判らない状況ではあるが、彼らの姿勢は変わらないであろうし、今後も追い続けていきたいと思う。

 

Eiko and Koma
土方巽の元で出会い、大野一雄に学びながら、1972年にEiko and Komaとして活動を始める。1973年に渡欧、ドイツでマニア・シュミエル、オランダでルカス・ホーフィンクに師事。1976年渡米。以後、ニューヨークを拠点として世界中で高い評価を受け続けている。振り付け、演出、衣装、舞台美術、出演、ビデオの制作・編集まで二人のコラボレーションとして行い、独自の身体表現を追求。近年ではソロ活動にも力を入れている。マッカーサー賞、スクリプス賞など受賞多数。

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