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落雅季子 劇評家   
類は累々と、居る

快快『ルイ・ルイ』
2019年9月8日(日)〜15日(月)@KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ

  快快の新作は、アメリカのR&Bシンガー、リチャード・ベリーが1956年に発表した『ルイルイ』という曲にインスパイアされて名付けられたという。カバーが多くなされ、様々なバージョンで人々の心に根付いているこの曲をもとに、脚本の北川陽子が構築した本作品の世 界観を言葉で表すならこうだ。誰の心にもあり、拠り所になるもの。しかし、それぞれ形が違うもの。
 二面の客席から観賞できるようになっている舞台美術の作りは、パースの取り方と立体感がトリッキーである。抜けるような青空の絵が頭上にひろがっていて、そこに向かってはしごが伸びており、丸く切り取られた空に向かって、観客から見えなくなるまでどこまでも昇れるようになっている。
 物語は、自分の殻を破れず一歩踏み出しきれない「女優」(初音映莉子)が夢想する世界を軸に、進む。大道寺梨乃、野上絹代、山崎皓司らオリジナルメンバーが作品を牽引し、若手俳優も彩りを添える中、毒蝮三太夫というベテランがカギになるぬいぐるみ「ルイ」の声の名演で世界観をアシストする。ルイとは、女優が大切にするイマジナリーフレンド(想像上の友だち!)である。
 

©加藤和也
快快は、俳優たちが役柄を演じながらも現実の存在として観客に語りかけ、時に劇中世界に引っ張りこむような作風が特徴的である。今作も、歌手である白波多カミンが実際に歌をうたうなど、出演メンバーのパーソナリティの断片が見えるエモーショナルなシーンが多く挟まれていた。
 とりわけパワフルだったのは、舞台上の梯子を一歩ずつ登り、独白ののちに死す(!)シーンが印象的だった山崎だ。彼が舞台上に現れるだけで、パフォーマンス全体の熱量が底上げされる。彼の野性味と計算の配分は経験の賜物で、山崎皓司という俳優の存在そのものが、私を勇気づけてくれる気さえする。
 結婚後イタリアに渡り、娘を育てながら野菜を売る大道寺梨乃や、振付家・演出家として活動しながら二人の子供を持っている野上絹代が遠い未来を想像するエピソードは、しゃかりきに若かった頃の快快が届かなかった、時間軸の射程距離を描いていたように思う。彼女たちは、選択して進んできたはずの未来に満足しながらも少し戸惑い、寂しさを覚えている。その切なさは「愛は永遠のものみたいに思ってたけど、愛も時代によって姿を変えていくから」という大道寺の台詞に象徴されていた。
 歳を取って各々の選択を重ねた彼らは、今度は「集まること」の難しさに直面する。そんな中、劇場は誰もが「集合」し、離れた軌道が「交差」できる場所として機能する。劇場にだけ聞こえる周波数のラジオの形を取り、ひそやかな共犯者として我々をふわりを招き入れてくれるホスピタリティを見せたのは、ぬいぐるみのルイだった。


©加藤和也
 そうした、人間とぬいぐるみという共演者のエネルギーに後押しされ、「るい」という名前であったことが判明した「女優」は、ラストシーンでルイと手を取り合い、踊りながら、演じ続ける自分自身への決意を語る。その自己肯定は、快快から私たちに贈られた祝福でもある。
 快快は、常に私の憧れだった。私が若かった頃、快快もまた若かったし、快快と言えば常識的な概念を打ち破る、奇抜でハッピーなやつらの集まりだった。勘違いしないでほしい。彼らはただ破天荒なグループだったのではなく、本物の幸せを、そしてそれを追求する際の人間の心の軋みを、誰より真剣に見つめていたアーティストたちなのだ。人間はいつでも今よりもっと良くなれるし、もっといろんな世界で自由に生きていい。彼らはそういうメッセージを強く体現してきた。
 そして今作で私が快快に見たのは、劇場と共に生き、老いる覚悟だった。快快はこれからも私たちの最高の「イマジナリー・フレンド」であり続ける。頭の中に直接働きかけて、制御不能に暴れまわり、自分の可能性を少し押し広げてくれる、素晴らしい友人たちとして。