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公演までの稽古場の風景
公演の独自性とはどのようにして創られていくのでしょうか? その一つの答えとして各団体の稽古のやり方が挙げられるのではないでしょうか。そこで、今回は観客がなかなか知ることができない「稽古」にフォーカスを当て、各団体が念頭に置く公演までの稽古の進め方・その方法について「OM-2」「劇団態変」「範宙遊泳」「温泉ドラゴン」の4団体に執筆していただきました。

劇団態変 稽古について
劇団態変 和田佳子

劇団態変制作部スタッフ。2003年から態変裏方に関わる。徳島出身、大阪在住。

  態変の稽古について何かを伝えようとするとき、浮かんでくる言葉は混沌、である。私は他の劇団の稽古場をほとんど知らない。他の劇団の稽古もきっと、稽古場は予測不可能な、ダイナミックな出来事に溢れているのだろうと想像する。しかし態変の混沌は、次の二つにおいて一味違ったものであると思う。

  それは、多数の人が関わって創り上げる時間であるということ。態変のパフォーマーは身体障碍者なので、パフォーマーだけで稽古を行うことはめったにない。稽古場に来るために、「介護者」の手足を使う。そして、稽古場に入ってからは「黒子」との共同作業を行うことになる。基本の衣装であるレオタードへの着替え、稽古場での移動、稽古が進めば舞台袖から舞台へ出ていくための袖幕介錯、など、「黒子」は介護者ではないが、パフォーマーが身体障碍者だからこそ必要な役割であり、作品の規模や内容、またパフォーマーの障碍の程度によっても関わる人数は変わる。

  そしてもう一つは、多様な身体を持つパフォーマーの多様な障碍ならではの動きを見つけ、頭でコントロールしようという意思をはずしたところの身体表現をひき出すような、金滿里の演出のスタイルがあることだと思う。態変の身体表現では、パフォーマーの動きを阻害しないこと、がとても重要である。特に、重度の身体障碍をもつパフォーマーの、普段は押さえつけられていたり隠していたりする障碍の動き、に宝物が詰まっている、と考える。彼らのペースは、健常者の身体のように決まったペースを持たない。決まった枠に入れてしまう時宝物は失われるから、稽古は枠を作ることを拒んでいる。


『ニライカナイ-命の分水嶺』©bozzo
  この二つについて、もう少し具体的に書いてみたい。

  態変の稽古は、公演までの毎週日曜日と祝日の昼間に行っている。主な稽古場所は、篤志家から格安で借り受けた倉庫を手作業で改造したアトリエ、メタモルホール。メタモルホールは、8メートル×5メートルほどのブラックボックスで、床面には黒いダンスマットを敷き詰めている。レオタードになったパフォーマーの身体が傷つかないように、またほこりを吸い込んでしまわないように(寝たきりのパフォーマーは床面に顔をつけた状態でいることも多い)、稽古前の掃除は雑巾で念入りに行う。温度調節も重要である。特に冬の床面は非常に冷えており、レオタード1枚の身体には厳しい環境となる。ダルマストーブやエアコンで、しっかりと暖かい環境を作る。

  パフォーマーの中には、日常移動に車いすを使用するメンバーも多い。しかし態変の稽古では車いすや補装具を使わず、どんな障碍の人も基本的にはレオタード1枚の生身の身体で表現するため、車いすはホールの外の土間にかためて置かれる。それでもスペースが足りないことも度々あり、二階の事務所も駆使して置き場を確保する。着替えやトイレにもそれぞれの身体に応じた工夫が必要であるため、限られたスペースにおいて誰がどこで何をするかという配置を考えておく必要がある。このような動線、いわゆる「人の流れ」をあらかじめ作っておくことが、よい稽古を創るための土台である。もちろんすべて計画通りにいくわけではないけれど。

  ところで、態変の説明をする時に、「這い出すところから舞台は始まる」という表現がよく使われる。これは、障碍者施設に暮らす重度障碍の人が、舞台に出ようと心を決めること、そして稽古場までたどり着くことがいかに難しいか、を物語っている。たとえ施設ではなく自分の家に暮らしていたとしても、日常の生活ペースを少し変えて、稽古のある日時にちょうどその場所にたどり着けるようにするために介護者を探すこと、その大変さは、介護者を使ったことのある人でないとわからないと思う。(私も、いつまでたっても想像でしかないのだ。)かつて、劇団スタッフである私たちに時間と人的な余裕があったときは、パフォーマーの自宅まで迎えに行く、送り届ける、ということも行えていた。しかし現在は、どんなパフォーマーも自分で介護者を調整して、たどり着いてもらうことを基本としている。

  重度の障碍を持つ人ほど、這い出すまでの壁は高い。しかし逆に、這い出して表現することにたどり着きたい、自分はたどり着かねばならないという思いは、そんな重度の人からこそ強く感じられることが多い。“内発的必要として芸術への機会を奪い返そうとする”彼らが、とにかく稽古場にやってきて金滿里の演出を受けた時、押し込められていたエネルギーはふつふつと盛り上がり、一期一会の身体表現が現れることになる。

  態変のパフォーマーは、自身の身体に向き合い金のメソッドによる稽古を続けることで、そのような一期一会の動きを、適切なタイミングで表現するコツを掴んでいくのだと思う。ある意味誰にとっても予測不可能な動きを作品の中で生かすためには、裏方スタッフである「黒子」の力量も問われる。先ほども書いたように、そのようなパフォーマーの動きを阻害しない、ということが基本であるが、それは実際に稽古を経験し、それぞれのパフォーマーの身体と付き合っていく中でしか掴めない感覚である。


『ニライカナイ-命の分水嶺』©bozzo
  黒子には長く関わっているメンバーもいるが、公演ごとにいろいろなバックグラウンドを持っている新人メンバーを迎え、基本的な講習を受けてもらい、あとは実践の稽古を重ねてその作品に必要な黒子チームを組織していくこととなる。

  稽古では、黒子頭をリーダーとして舞台袖中での動きを組み立て、それを黒子台本に集約していく。本番が近づくと、メタモルホールでは袖幕を吊っての稽古を行う。何もなかったブラックボックスを袖幕が仕切る時、一気に舞台の緊張感が高まる。同時に黒子の役割も一気に高まる。つまり、パフォーマーが舞台での演技に集中できるように、黒子が袖幕を開閉する役割を担う。態変の袖幕扱いは、難しい。パフォーマーが、闇から出てきて闇へ吸い込まれたかのように、黒子は開閉を行う。

  幕の開閉を行い、その合間に次のパフォーマーのスタンバイを行い、帰ってきたパフォーマーを危険ではない場所に移動させる、などなど、黒子の袖中での動きは実際複雑なパズルのように、無駄のないよう組み立てられていく。パフォーマーの舞台での動きを阻害しないために、袖中では黒子が主導を握る部分が多く、必要なコントロールを担っている。

  ここに、態変の稽古の最大の難関がある。

  黒子は、そして稽古場にいる人は誰でも、制作スタッフももちろんのこと、パフォーマーの動きを阻害してはならない。いかに障碍の身体の持つペース、そこから生まれる宇宙とつながるような動き、を尊重できるか、それが態変の身体表現の根本となるからだ。だから稽古場では、健常に近い身体を持つものほど、自分の動きや言葉に自覚的になる必要がある。障碍のペースを否定することに、健常の身体は慣れ切っているから。

  しかし同時に、必要な部分ではサポートを入れないと、作品は成立しない。演出が見せたいシーン、それはどの部分に介入すると再現が可能になるのか。この矛盾と付き合っていくことが、そしてどのポイントで折り合いをつけるのかという点に常に注意を払うことが、態変の稽古では重要なのである。

  この矛盾が、ダイナミックであればあるほど、作品のもつ力は強くなるのだと思う。だから、態変の稽古が混沌であることは、恐れてはいけない。恐れてはいけないと思いながらも、なるべくスムーズに稽古が進むようにといつまでも願ってしまうのは、私が単なる小心者の制作スタッフであるからだ、としか言いようがない。


次回公演
劇団態変・金滿里ソロ公演
『ウリ・オモニ』
第29回「下北沢演劇祭」参加
2019年2月8日(金)~11日(月)@下北沢ザ・スズナリ
作:金滿里 監修:大野一雄 振付:大野慶人